覚醒和尚は手紙を読んで、「そなたは強くなりたいのか」

重太郎は確かにそう思っていたから、「はい」と答えた。

「その目的はなんだ。人を斬りたいのか」

重太郎はかぶりを振る。思わぬ展開だ。

「強くなれば、それを頼んで、刀を抜くことにならないか。それに対処する自信はあるか」

強くなればそれを律する強い心が必要だということである。座禅に何の意味があるのかと、疑念を持っていた重太郎は、素直な気持ちになった。

重太郎の資質を一瞬で見抜いた覚醒和尚は、「まず、形から入るのだ。剣術も同じだったろう」

それは、四の五の言わずにやれと云うことで、自分の知らない世界に踏み出すときに、あれこれ思い惑うよりは踏み出してから考えろということだった。

逗留している修行僧の誠円が重太郎を座禅堂に案内してくれて、まず結跏趺坐を教えてくれた。それで体の力を抜き、精神を統一するのだと云う。

座禅が終わると覚醒と話をした。何度か話しているうちに、重太郎は心の隅にいつも母親のことが気になっていることを打ち明けるのである。

江戸に出るとき、母親は黙って送り出してくれた。それ以来会っていない。立ちかえりであるが、殿様の参勤のお供で江戸に出てくる父親から様子を聞くばかりである。それだから、重太郎は母親あてに文を書いているそうだ。

覚誠はその思いを抑え込もうとするなと助言するのだった。所詮、剣術は人斬りの技である。だからと言って人を斬ることを目的に修業しているわけではなかろう。身を守るためと己の修養のためであるはずだ。だから、人としての感情があって当たり前なのだと。

重太郎は江戸に出てきてから五年経って、加持惣右衛門の計らいで美濃島道場から居を藩中屋敷に移した。藩主義政の剣術の稽古の相手をすることになったからである。それまで義政の相手をしていた加持惣右衛門が忙しくなったので、重太郎を代役に呼んだのだ。

重太郎は義政と立ちあって気づいたことは、義政は剣術が好きなだけあって、剣先は鋭いのだが、やはり殿様芸を出るものではないということだった。十合以上の打ち合いになると、息が上がってしまう。それで早い段階で勝負しようとして無理をする。技もさることながら、体力がないのだ。

重太郎は義政に、周りには必ず人がいるから、襲われたときは自分で仕掛けないで、体力を温存するために守りに徹することを勧めた。小さく払って、早く構えに戻す。

さらに、重太郎は義政に体力増強のためのいくつかの注文をつけた。義政はそれも納得して、基本の素振り、打ち込みに精を出すようになった。重太郎は義政に藩主としての剣術の分を教えたともいえる。

重太郎は、重郎左衛門から美濃島道場の内弟子になれたのは加持惣右衛門の紹介によってであると聞いていたが、それまで一度も当の本人とは顔を合わせたことがなかった。加持惣右衛門が美濃島道場を訪れるときは、たいがい重太郎が座禅を組みに行っていたからでもある。

会う機会が訪れたのは江戸にきて五年も経ってからで、それもきっかけは重太郎が母親あての文を託すのに藩中屋敷を訪ねたことからだった。重太郎は江戸に来て、三月に一遍くらいの割で母親に文を書いたが、飛脚代がないために伝手を求めて国元に帰る人とかを探して文を託していた。

最初は父親が懇意にしている米問屋の浦紗屋が蔵前に店を構えているので、そこを訪ねたりした。呉服問屋の阿佐美屋を訪ねたこともある。それでだめなら、藩屋敷で国元に帰る人に託したのだった。