俳句で何を詠むか

過去の記事(『句材が0点だと句として成立しない!俳句は「掛け算」だった』)で俳句に詠まない方がよいものを述べた。では、俳句で何を詠むのか。

正岡(まさおか)子規(しき)は「俳句は自然の写生」と言った。

高浜(たかはま)虚子(きょし)は「俳句は季題を詠ずる文学」と言った。

山本(やまもと)(けん)(きち)は「俳句は挨拶」と言った。

私は、山本健吉派である。俳句はまさに挨拶だと思う。私たちが親しい人に会った時に、季節の移り変わりや、何らかの感動や発見したことを伝えたくて声をかける。そのような気持ちで俳句を詠みたい。

1.季節の移り変わりを伝える

「本当に秋らしくなりましたね。秋になるとすぐに咲く木槿(むくげ)桔梗(ききょう)や露草に、秋の山風が吹き抜けて行っていますよ」

この時候の挨拶が俳句になると

秋めくとすぐ咲く花に山の風 飯田(いいだ)(りゅう)()

2.感動を伝える

「長野県に行ったら、夏の花のあじさいが、花の盛りを過ぎてはいるものの、まだ残っていました。けれども、肌に感じる冷たさに、ああ私は今、信濃の秋の中にいるのだなぁと、感動してしまいましたよ。ほんとうに」この感動が俳句になると

紫陽花(あじさい)秋冷(しゅうれい)いたる信濃かな 杉田久女

3.発見を伝える

「今年の夏も暑かったけれど、ようやく秋になりましたね。まだ秋の始めですが、今日何気なく、手のひらや足の裏を見たのですが、やけに白いのに気がつきました。陽に当たらない箇所だから日焼けしていなかったのか、日焼けが褪めたのかわかりませんが。白秋というように、白さと秋に関係が深いせいでしょうか、手や足裏の白さによって、秋になった涼しさを改めて発見したように感じましたよ。ははは」

この発見が俳句になると

新涼や白きてのひらあしのうら 川端(かわばた)茅舎(ぼうしゃ)

挨拶の相手として親しい人と述べたが、相手はもっと広く捉えてもよかろう。特定の人に限らず、ひろく世間一般の人、自分自身、動物、生物、その他例えば月や山などの無生物でも、なんでもよいと思う。事実、ある文学者は蛙に挨拶している。

青蛙おのれもペンキぬりたてか 芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)

私は、挨拶する気持ちで、季節の移り変わり、感動、発見を俳句で詠んでいきたい。