1998年6月6・7日(土・日)    湖水地方ドライブ旅行記

-もう1つのケルト周縁の悲劇-

ロシアから寒気を連れてきて以来、ロンドンでは曇りがちの天気が続いており先週末の天気予報も雨。しかし同僚の欧州監査室課長のQさんから北部イングランドはロンドンより良さそうとのアドバイスを受け、朝6時18分発の列車でロンドンから480マイル(=772キロ)のスコットランドとの国境の町カーライルに向かいました。

土曜日は午後から湖水地方をレンタカーで走りました。湖水地方はイングランド最高峰スコーフェル山(標高975m)を中心とする山岳と、イングランド最大の湖(氷河湖)ウィンダミア湖を中心とする湖沼群に囲まれた国立公園です。アイルランド海からの西風を受けイングランド有数の多雨地域ですので天気が悪いのもやむを得ません。

夜9時過ぎまで明るいので昼前から走り始めれば1日で見て回れます。本来なら歩いて回る地域で、美しい遊歩道が多く雨がちの天気にもかかわらず散歩している人が多く見られます。恥ずかしながら私にはそれほどの元気もなく、イギリスの自然主義詩人ワーズワースの博物館、家で時間をつぶしました。中学校の英語の教科書で習った「水仙」の作者で、湖畔の町グラスミアに彼の墓・家があります。

日曜日早朝渓谷の上を走る低い雲と若干の晴れ間を見て法学部山の会で昔やった観天望気を思い出し、急遽湖水地方を離れてハドリアヌスの長城とカーライル城観光に変更し、下界はまずまずの天気でした。

ハドリアヌスの長城はローマ五賢帝の一人ハドリアヌス帝(在位117年~138年)が紀元122年のブリタニア属州訪問時に建設を指示し、紀元5世紀始めまでローマ帝国の最北端を守った城壁です。

グレートブリテン島では最重要のローマ遺跡で、イングランド、スコットランド国境に近いカーライル、ニューキャッスル間73マイルを高さ6メートルあまりの城壁で結んでいました。確か塩野七生の『ローマ人の物語-ユリウス・カエサル』の巻で、ローマ帝国の境界(ライン川、ドナウ川沿いの軍団基地)は蛮族攻撃のためではなく、非侵略の意思表示だというのが著者の見解でした。

ローマ軍は一時はスコットランド北部まで遠征しており(ハドリアヌスの長城の北のスコットランドに第2の防壁アントニヌスの長城を築いています)、逆にスコットランド部族によるブリタニア属州侵略も何度かあったようですが、城壁を挟んでの攻防は記録にはありません。

スコットランド人には怒られますが、最果ての地であり当時でもどれほどの脅威があったかは疑問で、その意味では塩野七生の言う境界策定の意思表示とするか、ハドリアヌス帝の気まぐれというところかもしれません。塩野七生の『ローマ人の物語』はまだ五賢帝の時代まで下っていませんがどのように扱われるか楽しみです。