「話は長くなるが、また次の機会にというわけにはいかないようだ。実は、私の妻が病気なんだ。まだ、いつ良くなるかはわからない。うつ病なのだから」

と、監督は振り絞るような声で言った。

「ただし、話はそれだけではない。なぜ、うつ病になったかだ」

俺は、じっと耳を傾けていた。

「あえて言うが、このあいだ私が口にした『得体の知れない通報者』は、私の妻なんだよ」

俺は、驚いた。頭が混乱した。

そして、続きを言おうか、今でも迷っている監督の様子が気になった。俺は、思い切って聞いた。

「もしかして、俺の指紋を警察に手渡したのは、監督ですか。監督が俺を警察に売ったということですか」

監督の顔は一瞬歪んだようだったが、すぐに諦めたように俺の顔を見て言った。

「うちに君が来たとき、たまたま、私は自宅で仕事をしていたんだ。姿は見えなかったが、君の話を私も聞いていた。あの金融話だ。君はそれが全くのでたらめな詐欺話だとは気づかせない、実に丁寧な説明をした。初対面の君を、妻がすっかり信用してしまったんだからね。でも、まさか妻が君に銀行の通帳を渡してしまうとは思わなかった。

あの頃、妻は金を増やすことだけに目がくらんでいた。あとから考えると、躁状態だったのかもしれない。君が帰ったあと、『大丈夫か』と確認したが、彼女は、大丈夫よ、と笑っていた。だが、君は金を引き出し、五百万円もの金を奪った。彼女はその後、怒ったり、泣いたり、感情のコントロールができないようだった。

私にとって大きな存在の、かけがえのない妻が一番苦しんだのは、君が初めての映画の舞台挨拶に立ったあとだった。『あいつがうちの金を奪った!』と、毎日私に訴えていた。私が君の声を聞いていたのに、『なぜ、あなたはそのことを私に言ってくれなかったのよ』とも言われた。

だが、私は、『彼の脚本でそれ以上の金がうちに入ったのだから』と、諭したのだが、真面目な妻は大きな葛藤を抱えた。毎日悩んでいたことは事実だ。二作目の映画も成功したし、何も余計なことはしなくていい、と言い聞かせていたのに、妻は警察に君のことを通報したのだ。私の事務所にあった君の指紋と、わが家に来たときに君が付けた指紋は一致した。

たまたま似た声だったのだと思いたかったんだよ。私は君の姿を見ていなかったのだからね。妻が、大きな勘違いをしているだけだと思いたかった。だが、私の希望は打ち砕かれた。必ず、話が大きくなることは目に見えていた。マスコミはニュースやワイドショーで大きく報道した。そのあとのことは、君が知っているとおりだ」