一  天文八年(西暦一五三九年)

さて、儂の弟の甚介はというと、松永屋敷を出た後、摂津に勢力を伸ばしつつある千熊丸の御陣に陣借りして戦功を重ねたらしく、家出から六年経った今では三百人ほどの足軽を束ねる物頭となり、元服して〈三好孫次郎利長〉と名を改めた千熊丸の偏諱を賜り〈松永長頼〉と名乗っている。たいそうな出世である。

その長頼が、「我が殿はお若いのに素晴らしきお方だ。兄者も一度うてみるとよい」と言うので、儂はその勧めに応じて、三好利長という殿様に拝謁すべく、今日こうして越水城に罷り越している。

夏のお天道様の勢いもいくらか和らいだ八月末の昼下がり、戸が開け放たれた何の飾り気もない板敷の広間に通された儂は、ミンミン蝉の賑やかさにゆく夏を感じながらしばらく座して待っていると、廊下を歩む音が近づいてきたので軽く頭を下げた。

そこへ三人の武士が入ってきて儂を横切り、一人は上座に座し、一人は上座の武士の左脇に控えて座し、いま一人は右脇に控えて座した。

「松永彦六郎、おもてを上げよ」と左脇に控えた武士が儂の名を呼ぶので、儂は下げていた頭を上げた。儂の名を呼ばわった武士は、年の頃は……そう儂と同じくらいであろうか。特にどうという特徴もないが、嫌な感じの男ではない。

右脇に控えた武士がニヤけている。弟の甚介だ。さすがに戦巧者との評判だけあって、以前にも増して筋骨は隆々とし、日焼けした肌がそれを一層引き立てている。立派になったものだ。

「兄者、よう参られた。正月の上洛の折には多くの兵糧を工面していただき、ありがとうございました」『そうだぁ』。儂の郷は、この年の正月、三好利長の軍勢に兵糧米を拠出した。我が弟の頼みとは言え、冬に郷の蓄えの米の多くを拠出したのはかなり痛かった。

儂は軽く会釈し正面上座の武士に向き直った。まだ若い。年の頃は二十歳前か。こんな乱世にあって、従容典雅・容姿凛然といった感じである。無骨さは微塵も感じない。少々線は細いが、いい感じの若者である。「彦六郎殿、よう来られた。私は三好孫次郎です。いつも甚介には助けられています。兵糧の件も礼を言います」と親しげに声をかけてきた。