ミッシェルとジョウのこと─偶然がダブルで起こった不思議な現実─

三年ほど月日が経ったある日突然ジョウが会社から去っていった。

彼はコンサルタントとして独立したのだった。彼の後任はオランダ人、デブロで以前この会社で働いていた経験があり、オランダに帰っていたが呼び戻されたのだった。

ただ彼の設計能力についてテリーが疑問を持っていた。政裕は彼から仕事を回してもらえなくなって何となく疎外されていると感じていた。

そんな中で社長は政裕をアメリカのウエストバージニア州の大学で開かれたFRP技術講座の受講に参加させてくれた。数日の出張になった。

そのあと、製作中だった大型タンクが完成、現地での水張り試験のためスペリオル湖北岸のテラスベイにあったパルプ工場に作業員五名と出張した。

高さ五十フィート、直径十四フィートの大型タンクで四個に分割して出荷、現地で接着結合組み立てを行い、消火栓から水を注入した。注入に一昼夜かかり、水位が満タンになるに従い各所で繊維が切れる音が発生し始めた。

安全率十倍が基本設計基準で、底部の局部的な肉厚も十分持たされていて、破損の心配はなかったが緊張で震える思いだった。試験を終わり作業員と別れて帰還することにした。

政裕は休暇をとり、妻と子供たちをバスで呼び寄せ途中三泊、スーセンマリ、サドバリなど経由してトロントに帰った。カナダでの初めての休暇だった。

ミプラコ転職とプロフェッショナルエンジニア資格試験

テラスベイでの仕事のあと、ジョウに電話、デブロのことを話したら転職を勧めてくれた。

業界で競合関係の会社ミックプラスチック、略してミプラコを推薦してくれた。政裕は親身になってくれたプロテクティブの社長には悪かったが転職を決心した。

ある日、予約なしにその会社、ミプラコを訪れた。社長のほか数人の面接を受けた。プロテクティブでの経験を買われて採用された。

そして、プロフェッショナルエンジニアの資格試験に合格すればチーフエンジニアにするという条件がつけられた。移住者のエンジニアはだれでもチャレンジしたくなる試験だった。

申し込んで二年以内に合格しないと永久に失格すること、トロント大学で試験が毎年三月にありオンタリオ州全土から受験者が集まることなどがわかった。

政裕はケミカルエンジニアリングの部門で受験申請した。四科目で各科目六十五点が合格ラインだったが難問だという。

そのうちの一科目はプロフェッショナル倫理についてのエッセイを書き上げること。あとの三科目は専門学科で化学工学の基礎知識と計算問題、化学工業の製造工程と工場管理など、カナダでの大学で教科科目になっている。

通常一年に二科目ずつ二年かけて試験を受けることになっていたが政裕は一年で全科目受験することに決め受験申請書を提出、受理された。