ミプラコを退職して独立

人生、四度目の分岐点を通過した。

最初のコンサルティングサービスとしてミプラコが請け負った外注プロジェクトの現場監督を任せられた。このプロジェクトはオンタリオ州北部トロントから約八百キロ北のティミンズの近郊にある金属鉱山に付属した銅の精錬所で日本の新しい技術による電解精錬に必要な大型電解槽の耐食ライニング工事であった。

この精錬所はカナダの大手企業と日本のM金属〈後のMマテリアル〉の合弁で進められていたのだ。ライニングの材料は塩ビ板でこれを鉄製タンク内面に貼り付ける技術は日本のS化学で開発されたものだった。このプロジェクトの指導のために日本から二人の技師が派遣されてミプラコに来ていた。

ミプラコの作業担当はアゾレス諸島からのポルトガル人でフォアマンのポールで彼は塩ビの加工技術のベテランだった。作業員は彼の手下の中から技術テストによって選ばれた。約一週間、ミプラコでの技術指導を受け、十名の作業員が選ばれて空路ティミンズに向かいその町のホテルに四か月の滞在が始まった。

政裕はS化学の二名と別のホテルに宿泊、レンタカーで別行動となり、町から約三十分の精錬所に通勤することになった。政裕は日本語が話せるのでこの仕事に適任だった。

まず現場を見せられた。電解槽の大きさは幅六メートル、長さ十五メートル、深さ一メートル半、その電解槽が十槽並んでいた。四か月と契約された納期保証が守られるかどうか、作業員たちは仕事の大きさと納期を聞かされて、怖気づいてしまった。政裕は大変な仕事を請け負ったものだと内心震えていたが、態度に出すわけにはいかず、とにかく仕事を始めなければならない。心配するな、責任を取るのはこの仕事を請け負ったミプラコのスタッフと現場監督の政裕だと言い聞かせ、みんなの協力を頼んで作業が開始された。

政裕はこの仕事は慣れるに従い、習熟効果でスピードアップできるとみていた。まず一槽目の仕事ぶりと溶接の仕上がり品質、所要日数を記録、この繰り返しで能率の変化を予想、完成日程が期限内になる可能性があると思った。だが、五月一日に季節外れの大雪で二日間通行止めになったこと、それと、作業員が二週間ごとの週末休暇でトロントに帰ることや病欠などあって進捗が鈍っていた。

施主側のエンジニアが政裕に当てられていた事務所に毎日現れて打ち合わせしていた。彼は納期についてかなり神経質になっていた。

そんな中で政裕は日曜日にS化学の二人をホテルの部屋に呼んでビフテキをふるまった。Yさんというあだ名がつけられた主任は醤油を持参していた。カナダのステーキを食べるのが夢だったという。政裕はスーパーでサーロインの高級肉をわんさと仕込んできて部屋のキッチンで次々と何枚も焼いたが二人が全部平らげた。

後半に入り、作業は順調に進行して完成予定日が迫ってきた。政裕は突発の問題が起きない限り完成はちょうど納期どおりの日になると確信した。そしてその日が来た。午後、後片付けをして現場に集まっていた全員と工場の関係者らの拍手が巻き起こった。政裕は町のレストランで完成祝賀夕食会を開いた。

トロントに帰った日は夏の盛りになっていた。S化学の二人とミプラコの社長に会い完成の報告のあとミプラコのスタッフも同席してトロントのあるホテルに付属していた日本料理店で完成パーティーを開いてくれた。