父の誇りだった祖父

インターネットで検索すると、父方の祖父の名前が出てきます。

戦争で諸外国のことを慮ったのは、一部の有名になった人だけではありません。軍人さんは、日本を守るため、そしてなにより大切な家族を守るために出征していったのです。出征して散った命も、復員してお帰りになった命も、命の重さに違いはありません。

戦争は二度と起こしてはならない、人類の過ちです。戦時中でも現代でも、死ぬときはいつも理不尽です。私の祖父は相手が敵国の兵士であっても、決して人を殺さず、銃弾を肩に受けながらお釈迦様の像を背負い、敵軍の襲来のなかを突っ込んでいった人でした。

ずっとずっと世界の平和を願い、基地のない沖縄をつくることにも尽力し、志半ばで亡くなりました。

まだもっとやりたいことがあったのに、どれだけ無念だったことでしょう。祖父に関する文献はたくさん残っています。新聞にも祖父の記事が掲載されています。1970年代から1980年代に、反戦と宗教を扱った新聞雑誌に取材されました。「我が非暴力」を最後まで貫いた立派な人でした。

私が幼いころ、祖父は、足のケガに手を置いて、治るように祈ってくれました。これが本当の手当てだと思いました。2015年3月、テレビのニュース番組で介護施設の問題が取り上げられていました。

そのころ、私は母の介護について書いた最初の書籍を出したばかりだったこともあり、メールでテレビ局に意見を送りました。その意見が採用されて、テレビ局のクルーが私の家に取材に来ました。父と2人でインタビューを受けました。

記者の方が当時85歳だった父に、

「お父さんは、今まで生きてきて一番幸せだったことはなんですか?」

と聞きました。父は、戦時中に毎朝、祖父を迎えに馬が家まで来るのが、人生のなかで最も誇らしかったと、答えました。あとで取材に来た記者から

「戦争を肯定しているのか」

と、クレームが入り、コメントを訂正させられましたが、父は決して戦争に賛成していたわけではありません。

ただ、国民皆が現実離れした高揚感に包まれていた戦時中のことです。父だけがこのように感じたわけではなかったはずです。父の記憶に鮮明に残る、馬で出陣していく祖父。その姿が誇らしかった気持ちを私は認めてあげたい。

そして、85歳になっても、自分の父親のことだけが誇りで、その父親にほめられることだけを求めて生きてきた私の父を、とても哀れに思います。