何はともあれ、きれい事の書かれた、そのつまらない指定図書を強制的に読まされて、「君はどう考えるか?」、「この本から何を学んだか?」、「自分の何を変えたのか?」といったことへの答えを強要されます。

こうなるともう、下手なことは書けません。

面白くなかったので「読むのが苦痛でした」、共感できなかったので「特に学びはありませんでした」、感動するような記述もなかったので「世のなかには影響を与えない本もあるのですね」、などという感想を書くことはできません。

そんなことを書いたらとんでもないことになると、子供でも、いや、頭の良い将来医療職に就くような、博愛精神をもった常識的な子供だからこそ考えます。

いきおい、「面白かった」、「ためになった」などと書くことでお茶を濁します。

そして、そういう記述の方に高い評価が与えられます。

(頭はそれほど良くなかったけれど)私もそんな子供の一人でした。

指定図書だった井伏鱒二の『黒い雨』の冒頭と、あとがきを読み、罪なき広島市民の負った原爆の悲劇についてのおためごかしを、暗澹たる気持ちで半分推測で書き殴ったことを覚えています。

指定図書をわざわざ買わされ、読んだあげくまったく面白くない。

これでは書く気も失せますし、何より、皆が読める(と判断された)本を自分は読めなかったというトラウマに悩まされます。

そうなるともう、読書から逃げることしか考えなくなります。