70歳になったときに後進に道を譲り、今では悠々自適の生活を送っているが、彼の研究家としての精神は衰えることはなく、退職後もORITA研究所の所長として気ままに好きな研究を続けている。

彼の研究所では、企業の枠からはみ出したようなちょっと風変わりな研究者が多く、研究課題も自由気ままである。織田の信条は「夢は大きく未知なるものを作れ、制作したものの中から更なる夢が生まれる」である。

織田は、この研究所の他にも、組織に属さないで自由に研究している一匹オオカミのような若者の多くに、彼が創ったORITA研究財団から毎年30億円の研究資金援助をしていた。

織田が入院して、担当の主治医としてドクターの本多教授と出会った。本多の大学での研究分野は、脳の記憶システムとコンピューターへのデータの置き換え、人間の脳とコンピューターの記憶システムの総合性を認証する研究であり、本多はこの分野では第一人者である。

本多は本当のところは脳の記憶システムの研究に没頭したかったのであるが、脳外科としての優秀性も買われて現場の医療から抜け出ることができないでいるジレンマを抱えていた。

本多の大学時代の研究仲間に、iPS細胞の研究では知らない者はいない中本教授がいる。中本はその論文の中でiPS細胞があれば同一人物の再生も可能であり、あらゆる病気から生命を守ることができると発表していた。

身体のあらゆるパーツを再生でき人工胎盤から人間そのものを作り出すことも可能で、遺伝子を操作すれば成人としての身体を作り出すことも可能であるとの理論を発表している。しかし彼の言い分としては、どんなに身体を再生しても脳の記憶老化はiPS細胞を使っても守りきれないし再生もできないから、見た目だけそっくりの身体はできても人間としての本人そのものを再生することはできないと言っている。

本多は脳の再生ができれば死なない人間を作ることができると、中本と酒を酌み交わすたびに繰り返して言う。中本も同じ気持ちである。