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小学1年生の頃、私は学校に着くまでの時間が感覚的にわからず、いつも朝起きては必死に早く準備し(当時はバス通学を始めたばかりだった)、始業40分前には学校に着いていた。

特にすることもなかったのだが、グラウンドでサッカーをする人を眺めたり、その辺を歩き回ったりしていた。後から来た同級生から、「早いね。大変じゃない?」と言われても、落ち着く時間を長く取りたいために1年間この習慣を変えなかった。

転機が来たのは2年生の頃。私が住んでいる地域発で、「このバスに乗れば学校に間に合いますよ」というバスが来た。

これで安心してそのバスに乗り、15分前に学校に着くようになったわけだが、大学生のときもいつも1時間前には講義室やゼミ室に到着し、社会人になった今でも1時間前に会社に到着することを目標に家を出るようにしている。

それもよほど余裕がないと気が済まない病気のせいだろう。

昔から、遅刻して叱責される人を見ていると、私の性格上、定刻の10分前からパニックになってしまう。

強い感情をぶつけられることにトラウマを感じていた私は、怒られて、なおかつ理由(言い訳)も呆れたものしか出てこないであろう「遅刻」を極端に避けるようになっていた。怒られ、それが「正当なもの」であると、やりきれないのだろう。

ほかにも、「怒られないために」規則を必死に守っていた。

当時の指導者たちは、その私の性格(少しでも怒られそうになったら泣きそうになる)をわかってくれ、家庭でも外でも怒られることはほとんどなかった。

こんなに大げさなのは家族でも私一人だが、しかし、時間厳守については悪い習慣だとは思わない。約束に1時間以上も早く行き、いつも待たされて()れるが、約束は守れるし、やはりギリギリは今も苦手だ。そして、待たされるときの不安、焦燥感、イライラを考えると、自分だけは時間を守らなければ、と思ってしまうのだ。