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小学2年生のときに母方の義理の祖母(祖父の後妻。私たちと血の繋がりはない)が亡くなった。遊びに行くと、いつも笑顔で出迎えてくれ、お菓子を用意してくれたり、近くのスーパーで好きな物を買ってくれる、心優しい祖母だった。

小学校の入学式にも駆けつけてくれ、誰に対しても笑顔で分け隔てなく優しかった。それ故、皆からも愛されており、葬式には多くの人が駆けつけ、皆が泣いていた記憶がある。

原因は、1999年6月29日に起こった水害だった(通称6.29豪雨災害)。広島市にあった祖母の家は鉄砲水に呑まれ、元々足が悪く、逃げ遅れた祖母は数日行方不明の後、家の敷地の地中深くから発見された。行方不明と知ったときは、家族総出で現場付近まで行き、母が泣きながら近くの川などを捜索していた記憶がある。

私は、それまで祖母に良くしてもらったにも拘わらず、あまりよくわからないまま、祖母の葬式に参列し、見送ることとなった。

今、祖母の記憶を辿ると、ある宗教団体に熱心に通い、本当に心が洗われているのではないかと思うくらい素晴らしい人だった。テレビの大相撲中継で関取が金星を挙げて、嬉しそうに帰ってくると、自分のことのように喜び、血の繋がりのない私たち家族を、いつも温かい笑顔で見守ってくれ、車いすだった祖父を献身的に介護していた。

あるとき、お泊り会に呼ばれて行くと、6家族ほどだろうか、多くの人が呼ばれていて、さながらアメリカのホームパーティーみたいな雰囲気になっており、私は家族や祖母の姿を探すのに苦労した記憶がある。

また、祖母の周りの人たちも本当に良い人ばかりで、某宗教団体の活動に参加している間は、良い記憶がほとんどを占めている。

後に聞いた話では、山の反対側に雨が集中していたら、隣の市であった廿日市市の我が家が危なかったという。何とも複雑な話で未だに咀嚼しきれていないが、たまたまその日にデイケアに行っていた祖父が助かったことから、やはり早めに避難してほしかったと切に思う。

これが私の最初の「別れ」だった。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『バイナリー彼女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。