しかし、昭和九(1934)年に浅草から渋谷へ通じる地下鉄銀座線が開通すると、銀座通りは、浅草、上野、日本橋、新橋、赤坂、渋谷と言う東京の主な繁華街と地下鉄で結びつけられたので、銀座は繁華街の中の繁華街として人々を惹き付けるようになりました。

平和な大正時代が続き昭和時代に入ると、昭和六(1931)年の世界恐慌にも拘わらず、銀座通りは殷賑を極め、奥様方が買物に集まり、若い二人がアヴェックで散策を楽しむと言う、憧れの場所になりました。

最新のファッションを身にまとい街行く人々はハイカラさんであり、モボ、モガが銀座通りを闊歩していたのです。

戦後の銀座 変わり身の早さは伝統的

東京の下町全域は米軍の大空襲で壊滅的な打撃を受け、銀座も鉄筋コンクリート造りのビル以外は殆ど焼失しましたが、変わり身の早さが伝統の銀座は戦災をバネにして素早く復興を遂げ、復興を契機に変容も遂げます。銀座は転んでも只では起きないのです。

戦後の変容は、従来からの舶来品の氾濫に加えて、銀座中央通りの建物の外観の洋風化が始まります。

外国ファッションの宣伝が横文字の看板になるのは当然ですが、ブランド商品の名前の看板だけでなく、銀座通りのビルそのものが外国の街並みに変容するのです。

平成時代に入ってから銀座中央通りの様相が大きく変わってきました。

建物の顔とでも言うべき表通りに面したビルの前面(ファサード)が広告塔に変身したビルが増えていることです。その特徴はノッペリと無表情になり、そのファサードの上には種々の外国文字だけが並び無国籍な街並みになりました。

無表情、無国籍のファサードが並ぶ銀座中央通りを歩くお客さんの種類も変化しています。

もともとは銀座は外国製の高級品を取扱う商店街で、シャネル、ティファニー、エルメス、ブルガリ、カルティエ、フェラガモ、プラダ、アルマーニなど世界の超一流品を売る店舗が多かったのですが、お客さんの種類が変われば、それに合わせて売る商品にも変化が現れます。

最近はそれらの高級ブランドに加えて、ファストファッションの店舗が銀座のメインストリートにも進出し始めたのです。

ファストファッションの店とは流行のカジュアル衣料品を手頃な価格で大衆に販売する店です。最初は H&M、Forever21、ザラ、 アバクロンビー&フィッチなどの外国の店舗が出店しましたが、最近は日本のユニクロも銀座に旗艦店を開店しました。

振り返れば、昭和四十五(1970)年に始まった銀座中央通りの歩行者天国は、銀座通りが大きく変容する前触れでした。

歩行者天国が実施される週末には、戦前のハイカラさんやモボ、モガだけでなく、普段着姿の若者たちが増えてきましたが、更に平成時代になると世界から多くの外国人が歩行者天国に現れてきました。

歩行者天国の銀座中央通りは外国の街のようになったと感じます。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『東京の街を歩いてみると』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。