江戸の名残りを今に伝える皇居と寺社

1.皇居と江戸城

(1)江戸城の領域は広大で変化に富んでいた

皇居を一周するランニングコースは約五キロメートルあります。この一周コース内の領域と、北の丸公園を合わせた範囲が江戸城跡だと思う人が多いのですが、そうではありません。

江戸城の城域は、外濠まで含めた広大な領域を指します。これを江戸城の総構えと言いまして、その面積は現在の皇居の何倍もの広さがありました。

江戸城の総構えの城域内には、多数の濠や石垣が渦巻状に配置されていて、その外周を外濠で囲い、外濠の出入口には見附という城門が設けられていました。

山の手の台地には、今でも市ヶ谷見附、四谷見附、赤坂見附という外濠の城門跡が残されているので城域の範囲は分かり易いのですが、嘗(かつ)て三十六見附と言われた江戸時代の城門は、海側の低地では明治以降、殆どが取り壊されてしまい、嘗ての江戸城がそんなに広かったと知る人は少ないのです。

江戸城の外濠囲いの状況を具体的に説明しますと、北側は隅田川に注ぐ神田川と日本橋川の二本の川が、二重の外濠の役目を担いました。

西側の外濠は、飯田濠、牛込濠、市ヶ谷濠、四谷濠が南北に繋がっていて、濠を掘った土砂で土手を築きましたから、堅固な城壁になりました。西側の外濠は、更に弁慶濠と溜池と続き、溜池の水は虎ノ門から汐留川となって隅田川に注いでいました。

東側の外濠は、日本橋川が呉服橋で分流して南下し、土橋(新橋)で西側の濠に合流していました。この濠は外濠川とも呼ばれました。江戸城の総構えが、渦巻きのように中心に収斂(しゅうれん)していく姿は、江戸城の外濠に沿って辿るとよく分かります。

内濠も外濠と同じように渦巻き状になって中心に向かい収斂しています。江戸城では外濠も内濠もそれぞれ姿形の異なるものが数多く構築されていますが、これは江戸城が海に望む武蔵野台地の縁(へり)に立地したことと大いに関係があります。

武蔵野台地の縁には小河川で削られた多くの谷や坂が多数あって起伏に富んでおり、その自然の地形に合わせて濠も土壁も築いたので、江戸城の構造は複雑になっているのです。