漁火

出口美紀の記憶にある母は、笑顔の少ない人だった。まるで苦労を自ら拾って集めたかのようにいろいろな苦労を抱え眉間に寄せた皺が緩むことは希だった。

「ああ、何で自分にはこうも厄介事が集まってくるんやろ」

そんな母の独り言を美紀はよく耳にした。しかし、母は口数も少なく苦労人だったが、それでもでんと構えていて頼りになる存在だった。美紀は母にそんな印象を持っている。

そんな母の苦労の多い人生が始まったのは美紀が小学校二年生のときだった。夫の孝雄が死んだのだ。自殺だった。美紀は今でも父のひっそりとした葬儀のときの母の顔を鮮明に思い出すことができる。

漁師の次男として生まれた孝雄は、大きな漁船を持ち漁師としては町一番の稼ぎ頭と言われて羽振りが良かった。家にいるときはその羽振りのいいことを背景に気前が良く、いつもニコニコとしていた。また、一人娘である美紀にも優しかった。

美紀が小さい頃、漁が休みになると孝雄は、二階にある美紀の部屋でよくトランプやカルタをして遊んでくれた。しかし、孝雄は勝負事に容赦をするようなことはなく、小さな美紀にも手加減することはなかった。

勝つことができず悔しくて大声で泣くと、その度に階下から「泣かしたらあかんよ〜」と食事の用意や掃除をしている母智子の声が掛かった。そんな声が掛かると孝雄は必ず泣いている美紀を膝の上に乗せて抱きしめてくれた。その度に孝雄からは魚の臭いがしたが孝雄の膝の上は美紀が一番好きな場所だった。

また母との仲も美紀の目にはたまに小さな口喧嘩のようなことはするものの孝雄から必ず折れて仲直りに持っていき夫婦仲は良いように映っていた。