無風状態の平成

第二幕、舞台装置や照明は一転した。日本を取り巻く環境が大きく変わった。

昭和の後半でラッキーだったことがことごとくなくなった。すなわち「つき」から見放されたのである。

(1)人口構造が変化した。特に少子高齢化が始まり、それが加速した

(2)労働力の移転がなくなり、生産性が向上せず、所得向上の源がなくなった

(3)東京一極集中が進むとともに、地方の過疎化、衰退化が加速した

(4)製造業の海外移転による国内産業の空洞化が進んだ

(5)技術革新が進まず、買いたくなるような新商品が現れなくなった

(6)子供が親よりも豊かになるという夢を持たなくなった

このなかでも(6)の夢がなくなったということが最も大きいと思うが、一言でいえば国民の購買意欲が減退したということだと思う。もっと楽しい思いをしたいとか、良いものを買いたいといった意欲、モチベーションが減ったのである。

それでも政府や日銀は、経済の成長を取り戻そうとして、低金利とか量的緩和といった金融政策を多用した。条件が変わったので金融政策以外に策がなかった、というのが正直なところだったのかも知れない。

一方で公共投資もなされていたが、多くの人にとって買いたいものがない、お金を使う対象がない、という状態が続いたのだから消費が伸びず貯蓄ばかりが増えた。

つまり経済の活性化にはつながらなかったのだ。効果は表れず、物価も上がらないという状態が続いた。公共料金などはほとんど変わっていない。

そしてそれが常態になり、適温経済などと言われ程よい感じの経済状態だとさえ言われていた。そしてさらに、財政赤字が拡大し、対GDP比では先進主要国の中でダントツの最悪状態になった。

それでも自国通貨で借金(国債発行)ができる限り多額の借金をしても国家は破綻しないというMMT(現代貨幣理論)論が出てくるなど、心配感が薄らいでいるように思えてならなかった。

破綻とは企業の場合は、手形が落とせなくなるとか、従業員に賃金を払えなるときのことであり、地方自治体も同様で、夕張市などが破綻状態になり国家管理になった。

しかし国の場合は、そのような破綻ということはなく、自国通貨を自分で印刷し発行し、その金で国債を発行している限り、公務員に給料を払い続けることはできる。

MMT論者は「破綻さえしなければいいじゃないか」と言っているように聞こえるが、筆者はもうすでに日本は実質的には破綻状態になったと思っている。

例えば、1980年ごろに社会人となった現在60歳前後の人の年金の給付開始時期や金額などは、当時暗に約束されていたものが果たされていない。

また教育や研究開発機関などへの助成金をはじめとする国力を高めるための投資などは年々減額されていて、海外大学への留学者数や引用されている論文数などは中国や韓国にも遅れをとっていて、教育にも金をかけない国になってきている。