数年後、同じ若松区内に3LDKのマンションを購入し、父、母、私、弟、妹と5人で平凡に暮らしていた。同じマンションの子たちとは毎日のように遊んだ。

当時の私はどちらかと言えば活発な方で、父は私のことを、いつも年下の子たちを連れまわしている、俺に似て親分肌だ、とよく自慢していたそうだ。

当の本人は当時のことははっきり覚えていないが、確かにどんなことをして遊ぶか、誰を誘うかなど、いつも私が決めていたような気がする。

自宅マンションの前で母と弟と。

私は好奇心旺盛で、新しいものや場所を発見するとわくわくが止まらない。人が見つけないような場所を見つけては、秘密基地と呼び、大人が知らない世界で子どものコミュニティーを作り出していき、毎日そこそこ楽しんでいた。

家庭内でもこれといって変わった家庭ではなく、平穏な生活だった。私は父と母が結婚して3年目にようやくできた待望の子であり、両親にとてもかわいがられていたらしい。当時のアルバムを見返すと、たくさんの旅行の写真がある。

そういえば夜中に眠ったまま車に乗せられ、起きたら県外、みたいなことがよくあった。写真の中にはあどけない顔をして全力で笑っている私がいた。

脳みそまで見えそうなくらい澄んだ眼差し、屈託のない笑顔。女の子にしてはちょっとやんちゃだったが、私はどこにでもいる、普通の子だった。

この少女が数年後に腐っていくなど、誰が想像しただろうか。

母と。何かのお祭。
旅行の写真にはいつも父がいる。
※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。