その笑いは「貴方、反省しなさいよ。貴方は、私がついていなければ何もできないのだから、ましてや今の貴方の、手足や言葉が不自由な状態では、離婚もできないわ。ショウガナイから諦めるわ」という含みをもっていることを感じた。妻の言ったことが信じられず、聞き返す勇気もない。「定年離婚」か。

本屋やテレビで見たことはあるが、私自身に降りかかる事態だと思ったことはない。家庭不和の状態が、「定年離婚」を引き起こす要因で、理解ある夫の下では、遠い存在であり、私には、はるかに遠い存在と思っていた。一瞬、私は、人生、馬車馬のように働いてきたのは何のためだったのか。土曜・日曜もなく家族のために働いてきたのは誰の為だったのか。休日の取れた時は、疲れた身体はさて置き、優先して家族サービスに努めたつもりだ。家族サービスには自信があった。

妻が「定年離婚」を考えていたことに私は打ちのめされた。脳梗塞で倒れたことより、大きなダメージを受けた。このまま、「対話ができないような後遺症」が残る異常状態のままでいたかった。妻は、諦めたように言った。「私、貴方に付いているから大丈夫よ」私の気持ちを、察したのか。

よほど不安な顔をさらけ出していたのだろう。実現を追及したい気持ちはあるだろう。でも、大丈夫と言われても、こちらは、針のむしろに横たわっているようなもの。「なぜ、なぜ」と妻の私に対しての「思いやりのなさ」を責める気持ちが強かった。

家族旅行、公園での家族みんなで遊んだ過去の思い出が走馬灯のように頭に浮かんだ。阿蘇の雄大な山々、六甲山の公園、浄土ヶ浜、高尾山、伊豆の一泊旅行、夏になればプール、何が不足なのか。そんなことを考えているうちに妻は居なくなった。多くのなぜを思いうかべていると、転勤における近隣挨拶、育児、子供の学校関係、転校になる子供の気持ち、地域のことは……。

今まで考えたこともない。学校行事に参加することさえ考えた事もない。その都度に言ってくれればと思うが、その都度言われても生返事で答え、考えていることは会社のことばかりであっただろう。会社の仕事は、ストレスはあるが、今後どのようなことが起きるか予見はできる。

妻や、子供の身に関わるストレスは日々が勝負であり、日に日に異なる環境からは予見することは難しいことだろう。仕事からくるストレスよりも大きいかもしれない。家事を金銭に換算すれば仕事から生まれる給与より高いかもしれない。掃除、洗濯物干し、取り込み、アイロン、整理、買い物、料理、子供の養育、躾など、それだけでも私の仕事量と比べた場合、優劣をつけることは難しい。

特に、私の世話が一番大変だろう。そんなことを思っていると、無性に今までの自分に自信が持てなくなってきた。仕事と家族。私は今まで間違っていたのか……。