脳梗塞で倒れる

意識が戻ったのは、処置室の看護師の声だった。

「カーディガンとシャツを切ってもいいですか」

わずかに、遠くの方から小さな声でささやかれているような感じはした。鋏で、私のカーディガンとシャツは切られていた。うっすらと目を開けることはできた。吐き気も強くない。

ただ、目を開けると今も地球が回りだし、吐き気をもよおす感じがして目を開けるのが怖い。ストレッチャーに寝たままの状態である。

「検査しますから、気持ち悪かったら言ってください」

顎の下に、吐いたものを受ける容器を置いた。いろいろな部屋を、廻り、検査された記憶はある。一連の検査が終わり、ドクターから診断結果の説明があり横になりながら夢うつつ状態で聞いた。

「脳梗塞です。詳細な診断説明は明日にします。脳梗塞はリハビリの努力しだいで後遺症の改善の程度が違います。まだ五十五歳で若いですから、ご自身の努力で改善してください」

それから、病室に入れられた。病室は四人部屋で、窓際であった。不安な顔をした妻がいた。ストレッチャーからベッドに移された。夕刻の日が長く差し込み、不安なトワイライトを迎えるそんな時、今まで考えもしなかった自身の年齢を考えざるを得なかった。

この歳なら死んでも、おかしくない年齢かも知れない。でも平均寿命八十二歳から見るとまだ二十七年もある。昨年、同期が癌で死んだ。病気もちの俺はそろそろだろうか。

妻は、ベッドわきの椅子に座り無言で将来の不安を思っているのだろう。目をうつろにして私を見つめている。私は、はっきりしない言葉で、

「大・丈・夫・だよ」

と優しくいった。妻の目から涙が流れるのを見た。その涙に、私のことをどれほど深く心配したかを理解することができた。妻は、安堵のあまり声が出ない。

「………」

土、日の朝は、必ず、一時間程度、健康の為、近くの川沿いを、大股、速足で腕を大きく振り、一、二、三、四で鼻から大きく息を吸い、一、二、三、四と口から長く息を吐く。

途中に坂道があるが、毎回、これを何歩で上がりきるか、これも苦しい楽しみの一つであった。この散歩が私の唯一の健康法で、現在も続けている。健康にもっと配慮すべきだったことを、今回の件で反省した。

今回の脳梗塞では、「生」への執念が強かったため生き延びることが出来た。というより妻の判断による対応の早さがあったからこそ今も元気に生きていられる。