2018年11月28日の決行当日の様子が撮影されていました。ミナさんは誓約書にサインすると、ベッドに横になり、医師により点滴ルートが確保されました。致死量の薬剤が入った点滴がつながれ、点滴のロックを自分で開き、開いたあとは数分で亡くなると説明を受けました。

ミナさんはそのあと、「ありがとね。じゃあ開けます。ありがとね、いろいろ」と点滴のロックを解除しながら、2人の姉に語りかけます。お姉さんたちも「ミナちゃん、ありがとね」。ミナさんは「こちらこそ、ありがとう」。そして、だんだんそのときが近づいてきます。お姉さんたちは沈黙の怖さからか、「楽になれるよね」と懸命に話しかけます。

ミナさんは「病院にも来てくれたから、すごく幸せだった」と。お姉さんたちは、「ありがとね、ありがとね……」と語りかけますが、ミナさんは眠るように動かなくなり、「そのときが来た」と悟ったお姉さんたちは、ミナさんを抱きしめて泣き崩れました。

しばらくして、医師が死亡確認をするところまで、臨終のシーンがほぼノーカットで撮影されていました。この番組を見た日、あまりにもショッキングで、なかなか寝付けませんでした。

私は内科医として、これまで数多くの患者さんを看取ってきたにもかかわらず……。

どうしてだろうかと自分なりに考えたところ、現代の日本において、「身体の死」と「精神の死」が乖離(かいり)していることが多いからではないかと思いました。

どういうことかといいますと、日本では例えば植物状態や老衰のため意思疎通ができない状態(私はこの状態を精神の死と名付けました)になっても、胃ろうや点滴などの延命措置を施すことがほとんどであり、心臓が止まる(私はこの状態を身体の死と名付けました)まで、かなりの時間を要することが多いということです。

この安楽死がミナさんにとって、最善の選択だったかどうかはわかりません。ただ私も、数少ないですが、死の直前まで意識があり、家族とコミュニケーションをとりながら亡くなられた人を看取ったことを思い出し、そのような最期がうらやましくもありました。

逆に、植物状態の人の延命の依頼をご家族から受け、延命治療を施すも、その後全く面会に来ず、ひっそりと亡くなられた人を見て悲しく思ったこともありました。

この番組の内容は医師の私からしても非常に重たいものでしたが、死について考えることにより、生きることの意義についても考えさせられました。

死後のことがわかる人は、この世の中に誰もいません。それが死への恐怖感につながります。

今生きているこの世の中が幸せなら、なおさらです。日本人は無宗教の人が多く、知らず知らずのうちに、死を考えないようにしている可能性が高いと思います。そのため、自分の近親者や自分が死に直面したときに、とりあえず生きる選択をすることが多いのだと思います。

その結果、本人の尊厳が保たれず、いたずらに不健康寿命が延びてしまった、私から見れば不幸な方が日本には多いのだと思います。

現代の日本の文化において安楽死までは受け入れにくいと思いますが、無理な延命治療はせず、個人の尊厳が損なわれない尊厳死については、もっと積極的に議論され、取り入れられていくべきだと思います。

死について考えるのは、ともすれば、暗く重い感じがして、考えたくないかもしれません。しかし、人はいつか必ず死ぬわけですし、死ぬことが不幸とは限りません。

「人生の終わりを、どのような形で迎えたいか」について考え、準備することは、決して後ろ向きの行動ではなく、「今をどう生きるか」につながる前向きの行動としてとらえられるべきで、時間のあるときに死について考えたり、家族で話し合ったりするのは、非常に有意義なことだと思います。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『やぶ患者になるな!』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。