頭では分かっていても、言葉が上手く出ない。看護師達は、それでも「はい」と言い、しばらくしてまた同じ質問がされる。しかし、5日間過ぎた頃には、それらの質問にも答えられるようになり、点滴も外れ、少しずつお粥や流動食も食べられるようになった。窓のない部屋でも、一応食事が出ることで、時間を感じるようになった。

倒れてしばらくはオムツをしていたが、看護師の介助で車イスに乗り、トイレに行くようにもなった。集中治療室には、救急車で重篤な患者さんが毎日運ばれて来る。私は病状も落ち着き、ベッドがだんだん端の方に移動した。

私は、5日目か6日目かの夜に、自分の現状をしっかりと把握し始めた。ただ、頭は大丈夫かと不安で、何気なく数学の二次方程式の解の公式を覚えているかを自分に試した所、覚えていてほっとした。これまで毎日シャワーを浴びていたのに、倒れた後はシャワーを浴びていない。体を拭いてはいただいていたが、体の不快感や様々な不安から、ある夜に寝付けなかった。

静まりかえった夜の病室で救急車のサイレンの音や、他の患者につけられているモニターの音が聞こえる。静寂な中でもこの場所は、多くの人の命が救いを求めている。人一倍健康に気を遣っていたのになぜこうなったのか(飲酒・喫煙もせず、食事もバランスよく取っていたのに)。いろんなことを考えていたら息苦しくなり、上手く呼吸ができなくなり、私はパニック状態を起こしてしまった。ナースコールボタンを押し、「私を寝かせてください!」と号泣した。どうやら、過呼吸を起こしていたようだった。

看護師から落ち着くよう言われ、袋の中で呼吸し、過呼吸はおさまった……私より重篤な患者さんがいるのに、迷惑をかけている自分が一層情けなく、しばらく泣き続けた。普段泣くことがない私の涙は、その時、ほぼ出し尽くされた。

『自分は何て弱いんだ。ちっぽけな存在だなぁ』と、しみじみ思った。他の患者についているモニター音、微かに感じる息づかい、看護師達の気配、この空間で皆、確実にそれぞれが生きている。

『助けられた、生かされたのだから、泣いている時間があったら生きなければ』次の日、申し訳ない気持ちでいっぱいの私のことを、看護師達は何も言わずに、優しく普段通りに接してくださった。少しずつ話せるようになったり、家族が来たりすることで、私は、本来の自分に戻ろうとし始めた。

そんな中、一番嬉しかったのは、クリスマスイブの日の夕食だった。柔らかいものが食べられるようになっていたので、クリスマス仕様の夕食に久しぶりに笑顔になれた。メニューすべてを覚えてないのだが、ハンバーグやニンジングラッセ、付け合わせの野菜、スープ、お粥、そして小さなスクエアケーキ。ケーキはチョコとストロベリーのムースだったと思う。

病院でクリスマスイブを迎えるとは思いもしなかったが、この時は嬉しかった。この2日前くらいから、軽いリハビリも始まった。1日20分くらいだったが療法士が迎えに来てくださり、リハビリ室で血圧を計りながら、少しずつ運動を始めた。集中治療室を出て院内を移動するだけでも、少しだけ気分は変わった。

運動といっても右手右足は動かないので、装具を足につけて少し立つ、といった感じだ。右手はダラリとしていたので、三角巾をつけていた。

※本記事は、2021年2月刊行の書籍『アイアムカタマヒ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。