二十一世紀

西暦2000年(平成12年)ミレニアムの年にはY2K問題が世界で懸念されましたが、ほとんどトラブルも発生せずに行政、企業、家庭とも年末、年始にかけて最悪の事態は回避されました。

我が家のパソコンや家電製品もバグが発生することなく越年しました。日本経済は2000年後半以降から景気の減速が生じ、2001年3月には戦後初めて「日本経済はデフレにある」と日本政府が認めました。

この頃の世界経済の減速はまずアメリカでおこり、経済成長率は在庫投資や設備投資の減少を背景に2000年夏ごろから鈍化し始めました。IT(情報技術)部門の生産は非IT部門に比べて急速に減速しました。たぶんそれは2000年問題の対応が終わった余波とも考えられます。 

アメリカ経済の減速は、世界のIT需要拡大を背景に景気拡大が続いていたアジアに波及し、IT関連製品の対米輸出の大幅な減少などから韓国と台湾、シンガポール、タイ、マレーシア等が成長率を低下させ、2001年半ばにはこれらの諸国の経済はマイナス成長を記録しました。ITバブルが崩壊し、IT不況に入ったのです。 

一方、ヨーロッパでは、減税政策、雇用拡大等により2001年初めまでは内需を中心とした景気は拡大を続けていました。ただユーロ圏では同年春頃から景気の減速が鮮明になり年末にはマイナス成長に落ちこみました。ユーロ圏にもITバブル崩壊の波が寄せたと思われます。 

2001年9月の同時多発テロによりアメリカ経済は景気がさらに減速しましたが、翌年春には個人消費が上向き、景気回復傾向がみられました。アメリカ経済の回復基調の影響でアジアの韓国、台湾、シンガポールなどでは製造業を中心に景気回復への動きがみられた一方、2001年と2003年には小泉政権が発足した日本経済は、聖域なき構造改革のもと先行き不透明感漂う不況下にありました。 

2000年初頭は先端IT関係など、日本産業界は世界でトップクラスの実力がありました。自動車も家電も、日本を代表する業界はまだまだ世界に君臨する実力がありました。ところが日本を取り巻く中国、韓国など新興国の製品が低コストを武器に世界のマーケットから日本製品を追い出し始めました。それはあたかも戦後のアメリカやヨーロッパのマーケットへの日本製品の進出と同じ道です。なかでも中国製品の世界への輸出攻勢は驚くに値します。