大災害が起きて、被災者に配給がある。悲惨な状況にもかかわらずきちんと並んで順番を待っている日本人の姿が世界中に報道された。世界は日本人の礼儀正しさに驚嘆した。

確かに礼儀正しい。だが日本人のこの美徳を形成している因子は礼儀正しさだけなのだろうか。その根底には集団からはずれた行動を取ることへの恐怖感もあるのではないだろうか。他人から奇異な目で見られることへの恐怖感が。それが「同調圧力」として知られているものの正体である。

だから日本人は集団で強い。自分勝手な行動を取らないからだ。自分のせいで集団が負けることを非常に恐れるので集団の中で力を発揮する。おのずから集団は強くなる。野球やサッカーやバレーボールやシンクロナイズドスイミングなどは日本人に適したスポーツかもしれない。逆に個人競技のテニスなどは適していない。あの人は例外? いや錦織は子供の頃にアメリカに渡った……。同じ理由で軍隊もきっと強かったに違いない。超大国のアメリカと戦えるほどに。そして大企業も強い。個人よりも会社の利益のために働いてくれる日本人は最適な社員だ。

限られた狭いコミュニティーの中で、仲間はずれにされることを恐れている人は少なくないと思う。そうでなければこれほどイジメが深刻な問題になることはないであろう。イジメはきっと現代に特徴的な問題ではない。日本という国土を考えれば昔からあったに違いない。周りを海に囲まれた狭い国土。例えば氏神様のお祭りなどには積極的に参加すべきだ。そうでなければ村八分になってしまう。村八分にされたら生死に関わる可能性もある。そうならないためには皆の衆と同じ行動を取らなければならない。皆と協力して助け合って同じ考えで行動することが美徳なのだ。それを和と言う。和を乱すことは要するに悪であり排除されなくてはならない。という精神構造。

こういった和の精神は、前述の国土的な事情もあっただろう。だがそれだけではないことが明らかになってきている。数年前に少しだけ話題になったのが「日本人には不安遺伝子(セロトニントランスポーター遺伝子SS型)が世界一多い」というニュースだ。日本人は生まれつきネガティブな性格の人が世界で一番多いということになる。不安になりやすい体質を穴埋めするために日本人は集団に属する道を選んだ、ということは容易に想像できる。弱い魚、イワシが集団行動を取ることで大きな魚などの脅威から守られるように。

学校で、あるいは会社で、そういった限られた狭いコミュニティーの中で自分の居場所がなくなったとき、不安遺伝子は活性化し日本人は絶望する。自殺をする人が後を絶たないこととの関連はどうであろうか。

和の心が社会生活で美徳なのは明らかであり、特に日本で生活する上では必要不可欠である。しかしそのネガティブな面にも気をつけなければならない。もしも集団が間違った方向に進んだ場合、そこを抜け出す精神力がなければ共に滅亡に至る。先の戦争もそうであり、原発問題もそうであり、イジメや自殺、会社への隷属もそうだ。和を乱すことなく自己主張を貫くためには勇気と運と、もしかしたら遺伝子が必要なのかもしれない。

※本記事は、2021年1月刊行の書籍『哀しみの午後の為のヘブンズ・ブルー』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。