ものすごい提案にまだたじろいでいるしか出来ない田畑さんは、遠くの乳白色の大きな窓ガラスを見つめていた。

「なあ、みんなに元気を少しでもあげられんじゃないか? たまには俺たちも常夏ハワイアンズで何か楽しむことも必要だぜ。誰かひとりでもオカリナ演奏会を良かった、楽しかったと感じてくれたら、それでいいじゃないか。たったひとり、いればいいさ、なあ、俺は、ド音痴だがオカリナと一緒に歌うぞ、いいかい?」

「う~~ん、う~ん、うん、はい」

田畑さんの最後の『はい』の返事はとても小さな声だったが、大きな決断をしたのだった。恥ずかしがり屋で人の前にしゃしゃり出るタイプではない田畑さんだが、前歯一本の『たったひとり』の言葉に感動さえ覚えて、心が大きく動かされたのだった。

田畑さんの小さいが『はい』の言葉ですべては決まった。前歯一本は大滝ナースに許可を取って来るからとすぐに飛んで行ってしまった。もう、後戻りできない。ただ、田畑さんはとても不安な事があった。明後日の当日、具合が悪くなったらどうしよう、体調が急に悪くなって、みんなに迷惑をかけたらどうしようかと大きな決断はすぐに不安に変わっていった。

自分の代わりは居ないのである。それがどれだけのプレッシャーになるのかは、双極性障害の人にしかわからないだろう。

どうしようか、どうしようか、どうしようか。

田畑さんは悩み、不安になり、かすかだが身体が小刻みに震えだした。
 

恋して悩んで、⼤⼈と⼦どもの境界線で揺れる⽇々。双極性障害の⺟を持つ少年の⽢く切ない⻘春⼩説。