2005年11月ウルアジアはトロント株式市場に上場した。株式が上場したため、その株式を買収手段とする取引が可能になり、ウルアジアはカナダと南アフリカを拠点とするウラン採掘のメジャーなウラニウム製造会社ウラニウム・ワンを2007年2月12日に合併すると発表した。

その合併が完了し、結合した会社は今やウラニウム・ワンという社名になり、ギストラと他のウルアジアの株主が支配権を握っていたが、アメリカ国内のウラン鉱山資源を買いあさり始めた。

中小鉱山のランクにいたウルアジアは、2年足らずでいち早くウラニウム・ワンという旗を掲げた世界でメジャーなウラニウム製造会社へと駆け上がった。この期間ヒラリー・クリントンは積極的にアメリカ大統領になるための活動を続けており、メディアからは勝利間違いなしと見られていた。

ビル・クリントンはナザルバエフと接触を続けていた。カザフの独裁者は人権問題で残忍きわまる経歴があり、しかも長老上院議員のジョー・バイデンの反対があったにもかかわらず、欧州安全保障協力機構のトップに指名された。

ナザルバエフは2007年9月にニューヨーク市で開催されたクリントン・グローバル・イニシャティブ財団に主賓として招待された。

ギストラはクリントン財団に1億ドル以上の寄付をすると新たな約束を公表した。お互いに利益となるカネのやりとり、公職への指名など便宜をはかることを通じて、ビルとヒラリー・クリントン、フランク・ギストラそれに独裁者ナザルバエフは濃密な相互関係を深めていった。そしてギストラはエンドゲームを開始した。

アメリカのウラン鉱山を含めウラニウム・ワンをロシアの国営原子力企業ロスアトムへ売却したのだ。2009年6月15日ロスアトムはアトムレドメトゾロト、現在のARMZのウラン採掘部門であるが、ウラニウム・ワンの株式を17パーセント取得したと公表した。

ちょうどその数カ月前、新たに選任されたバラク・オバマ大統領のもとでヒラリー・クリントンが国務長官に就任したのだった。

国務長官としてヒラリー・クリントンは直ちにCFIUS内で最も強力な発言権を持つことになった。