初めてお金で買い物をした縄文人

数日後、ついに貨幣配布の日がやってきた。

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その日は雲一つない快晴で、門出に相応しい好天であった。笹見平には朝から、各集落より三~五人くらいずつの人間が集まって来ていた。中には長老格の人物がやってきたところもあった。

初めてやってきた人のほとんどは、何のために何をしに来たのか、正直ピンと来ていなかった。例のならず者集落からも二人ほど初顔がついてきた。彼らは物盗りの下見のように怪しい目つきで、あちこちを見回していた。

朝のうちに、各集落に、貨幣とその借用書、ササミダイラ債が渡された。借用書の額には、債券の金額が上積みしてあった。多くの縄文人には、それがなんなのか分からなかった。書かれている数字が読めず、日に透かしてみたり、匂いを嗅いだりしている。代表者として講義を受けてきた面々は、あらかた理解しているはずだったが、実際に手にしてみると、やはりよく分からないのだった。

受け渡しが済むと、林は歓迎の意を示し、集まった五十名近い縄文人を先導し、笹見平の塀の内側を案内した。

初めてやってきた人々は一様に驚いた。一番反応があったのは観光案内所。あのつるつるぺたぺたした壁が不思議でたまらない様子である。一行は畑にやってきた。そこでは泉が女子中学生らと野良仕事をしていた。泉は錆びだらけのミニスコップ―観光案内所の倉庫に収められていたもの――を手に、畝を整えていた。

とある縄文人がミニスコップを見て何か言った。同じ集落の人(笹見平へは講義を受けに何度も来ていた)が現代日本語に訳した。

「我らの長が、その固いツルツルした道具は素晴らしい、と言っています」

「じゃあ、こうお伝えください」林はすぐに応じた。

「その素晴らしい道具は、先程お渡しした貨幣二〇枚と交換できます」

林の言葉は、その場にいた全ての現代日本語を理解する人たちによって訳された。縄文人たちは騒然とした。

最初にミニスコップに興味を示した縄文人が、渡されたばかりの貨幣を二〇枚、角を揃えて差し出した。林は受け取ると、指で端を繰って数を確認し、泉に目をやった。泉は当の人物の前に歩み出て、ミニスコップを手渡した。

「お買い上げ、ありがとうございます」

泉は明るく言った。

縄文人たちの間にどよめきが起きた。買った縄文人―おそらく、我が国で初めてお金で買い物をしたであろう日本人は、手にしたミニスコップをつまんだり叩いたり、頑丈さと精巧さに大満足のようだった。しかしそれも束の間、眉をひそめて何やら呟いた。代表者は現代日本語に訳した。

「減ってしまったカヘーは、もう戻らないのか、と言っています」

林は答えた。

「こう伝えてください。今、ミニスコップを買ってもらったように、貨幣は交換するためのものです。私たちは食べ物を手に入れたい。笹見平に食料を持ってきてくれたら、私たちは貨幣で買います。みなさんはそうやって貨幣を手に入れることができるのです」

縄文人たちは再びどよめいた。今度のどよめきは、引っ掛かっていたものが腑に落ちたような、納得のどよめきだった。