著者・村瀬英晃氏と個性豊かな社会人で行っている勉強会、学生時代の恩師とのやりとりから生まれた自由な発想やアイデアで問題解決に繋げる水平思考について連載形式で紹介します。

エコ・ジレンマとは

「目には目を エコにはエコを と言いたいが 期待に反し ジレンマを生む」

「転換期 変化の基調を どう読むか 単なるブームか 揺るがぬ事実か」

さて、石田教授の「地球温暖化に関する認識」に触れる前に、次のことを挙げておく。

今年1月に開催された世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)に参加し、米国トランプ大統領等、政財界のリーダーに具体的な行動を迫った、グレタ・トゥンベリさんの「お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」という発言。

彼女は、「数字をいじってだましているだけで、温暖化対策はほとんど何も成し遂げられていない」と痛烈に批判する。そうした危機意識は、これからの時代を担う若者の心理を代表したものといえるかもしれない。

同じ危機意識を持っているとはいえ、石田教授が示唆する点は「エコ・ジレンマ」という視点。「エコ・ジレンマ」を簡単に説明すれば、「電気使用量が半減した商品が市場に出て来ると、エコなのだから、エアコンを別の部屋にもつけようか、一回り大きい冷蔵庫やテレビを買おうか」といった消費心理が生まれる現象である。

その証左として、過去20年ぐらいの間に、日本の電気使用量は3割ぐらい増えており、家庭用と産業用で分けた時、工場などで使う電気の量は大企業を中心に省エネの取り組み等でそれほど増えていないのに、家庭用とか業務用とかが増えているために、全体の使用量が押し上げられているという(2013年当時のデータ)。

つまり、氏はエコのテクノロジーが消費行動の免罪符になっているというのだ。結果、「……本来の企業の目的は社会に対して豊かなライフスタイルを提供しないといけないのに、いまの企業はエコ商品をつくることを目的としてしまうとか、……エコ商品を売ることにばかり熱心になってしまっています。……」と。

「明日の飯より今日の飯」、「明日の百より今日の五十」、「株主の関心事は長期的な利益よりも短期の利益」等、現実と理想のギャップはあろうが、将来がどうなっても構わないと考えた企業経営をしている人は異例だろう。

つまるところ、地球温暖化問題は「市場競争世界で生きる企業の宿命」もしくは「企業文明論」といってよいかもしれない。

石田教授は「経営者は健全な覚悟をすること」と話を括っているが、人は誰しも病気になって初めて健康の有り難みを実感する生き物だからどう受け止められるだろうか。

10年ほど前の懸念に対する氏の提言は、企業価値評価指標としてESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:企業統治)や、持続可能な開発目標としてのSDGs(Sustainable Development Goals)という形となって注目を集めるようになったと考えてよさそうだ。

株主や投資家も、財務指標(売上高・利益)といった過去の実績を重視する姿勢から、環境、社会、企業統治といった非財務情報の観点を投資先として重視する傾向が生まれつつあるという。(2020・2・16記)