ホースディアーだけのチケット

平成二十三年。静岡県富士市の「富士山銀行」で、一人の老女がATMに向かって話しかけていた。

「うちの娘がね、通帳と印鑑を持って行ってしまったんです」

「通帳を入れてください。通帳をお持ち○△□×……」

「だからね、娘が通帳を持ってったから、カードしかないんです。娘に言わないとわからないんです」

「通帳を入れてください。通帳を……」

「だ、か、ら、娘がね、通帳を持って行ってしまったのでないんです!」

そして、その老婆は家に帰ってしまった。自宅の固定電話で老女は娘に電話をかけた。

「もしもし里奈? 今ね、富士山銀行に行ってお金を下ろそうと思ったらね、銀行の人が『通帳入れてください』って言うんだよ。だから、あんた通帳持って来てよ」

「お母さん、それはATMでしょ? カードで下ろせるはずよ!」

「ATM? 銀行の人がちゃんとしゃべってたんだよ。今まではカードで下ろせたんだけど、これから通帳がないと下ろせないことになったんでしょ?」

「だから~、機械の中に声が録音されていて、機械の前に立つと声が流れるようになってるんだってば!」

「わたしゃ、わかんないだよ。いいからあんたこっち来て!」

里奈は仕方なく家事を中断して、母親節子(老女)のいる実家まで車を走らせた。

「お母さん、車に乗って!」

そして、節子は車に乗り、銀行のの前に立った。

「お母さん、私がここで見てるから、カードでお金下ろしてみて?」

「だから、カードじゃ下ろせないんだよ」

「いいからやってみてよ!」

「いらっしゃいませ。ご希望のお取引を選択してください」

そして節子は『ご出金』のボタンを押した。

「通帳を入れてください」

「あの、通帳はないです。娘が持っていて……」

「お母さん! だから、これは録音なんだってば!」

「通帳をお持ちでない場合はカードを入れてください」

「ほら、だからカードを入れればお金が下ろせるんだってば!」

「でも、いつもはそんなこと言わないのになんで今日だけそんなことを言うんだろうね」

「通帳持ってれば、通帳とカードの両方だけど、カードだけでも下ろせるわよ」

そして節子はカードを入れた。

「暗証番号を入れてください」

すると、隣のATMに人がいるのに節子は、

「ゼロ、ナナ、ゼロ……」

「お母さん! 声出しちゃダメだってば!」

「いつもは出さないんだよ。あんたがいるから出しただけだよ」

途中から里奈が操作してお金を下ろすことが出来た。

「ほら、出来るでしょ? もう一度、自分でやってみて!」

するとまた暗証番号を言ってしまう。

「もう、この番号はやめといた方がいいわね。番号変えてもらうからね」

そして番号を変え、心配なので里奈は家にある節子の持ち金を預かろうとした。

「これは私のお金! あんた、私のお金を持ってっちゃ駄目だよ!」