「歴史」は学者や政治家の専有物ではなく国民の共有財産だ


参考文献も大事だが、教授の思考過程がわかるこうした記録類こそ最も必要なものだ。

そんなことを考えながら年代の古いものから読んでいると、最初のうちは、どんな本を読んで、どんなことに感銘を受けたとか、この本とあの本を比較すると、どうもこちらのほうが真実に近い気がするといったような読後の感想がほとんどだった。

やがて次第に読書量が増えていき、そして全国の遺跡や考古学的に重要な発掘物が出た現地などを見て歩くうちに、自然と独自の推理と仮説が教授の頭の中に芽生えてきたようだった。

最初の日付から十数年たったころのノートには、それまで誰も提唱したことのなかった新説の構想をびっしりと書き連ねはじめている。

いつしか沙也香は取り憑かれたようにノートの文章に引き込まれていた。日付の新しい最後の五冊目あたりから、教授は聖徳太子の研究に没頭するようになったらしい。それ以外のことはあまり書かれなくなっている。

聖徳太子の謎の中には古代史の謎の根幹に関わる要素が凝縮されていると教授は考えていたようだ。沙也香は生前の教授に会うことはできなかったが、ノートの文章の端々から自分の心の中に強く訴えてくるのを感じていた。

沙也香は、もはやただの文章を読んでいるのではなかった。生きている教授と直接話をしている気になっていた。教授は、こう語りかけてきている。

「聖徳太子の謎を解けば、すべての古代史の謎が解ける可能性がある。だからその謎を解き、世間にそれを公表してほしい。真実の古代史を知ることによって、閉ざされてきた国民の眼を開くことができる。日本人としての正しいルーツを知ることで、正しい歴史認識もできてくるのだ。こんにちの国際社会の中で、それは最も重要な課題だとわたしは思う」と。

また教授はこうも語りかけてきた。

「日本の歴史というものは、学者や政治家の専有物ではなく、国民の共有財産なのだ。しかし為政者は国民を欺(あざむ)き、自分の都合のいいように歴史というものを作り上げてきた。その最たる例が『日本書紀』だ。特に聖徳太子に関する記事では、真実を隠蔽してねつ造した架空の話を書き連ねている」