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新米教師となった私は埼玉県の埼玉栄高校に奉職した。

一教員となり世界中を旅行し見聞を広め、生きた授業をしたいと意気込んで、大宮公園のサクラが満開の時期に着任式に臨んだ。

着任式後、新任歓迎会が催され、学生時代に養われたマナーを駆使して、当時の佐藤栄太郎理事長にビールを注ぎに行った。

「新任の濱本と申します。よろしくお願いいたします」

やや緊張気味にご挨拶を申し上げた。すると、

「濱本、あなたの出身の崇徳高校は野球の選抜大会で優勝しているそうだな。すぐにでも、うちのコーチになってやってくれないか」

と、突然のコーチ要請があった。

(こりゃ困った。野球をするために教師になったわけではないのにどうしよう。)

新学期が始まり、すぐさま佐藤理事長に呼ばれ、

「早く、グラウンドに行かなきゃだめだよ」

と強く言われる。

(とりあえず行ってみるか!)

学校からいただいたジャージを着て、埼玉栄高校初代監督の出谷先生の中古車に乗せられて河川敷にあったグラウンドに到着した。

出谷監督からチームの現状や埼玉の野球事情をお聞きし、練習を見守っていたその時、

「濱本先生、外野ノックをしてください」

と、これまた突然言われた。

教員採用の内定をもらってから、教材研究ばかりしていたので、バットを持ってノックなどやっていなかったのである。

生徒たちが大きな声でノックを要求するので、仕方なくボールを渡されノックをしたが、恥ずかしくも空振りをしてしまった。

その時の周りの雰囲気は、この人は本当に野球をやっていたのか? という唖然とした空気が流れていた。

私はこの、ある意味軽く見られたことに対する反発で、

(よーし、やってやろうじゃないか! 聞くところによると創部5年の実力校。いつか甲子園に出場できるようにしようじゃないか!)

練習後、自宅に戻り広島の実家に電話をした。

「お父ちゃん。すまんが、わしの高校時代の練習着や試合着を送ってくれや」

と早速練習着を送ってもらい、4年間のコーチ時代を全うしたのである。

一番の好成績は秋の県大会、当時甲子園常連校の上尾高校に7対0の7回コールド勝ちをしてベスト4になった。また、川口市立川口高校の野球殿堂入りした齊藤雅樹投手と、ベスト8で対戦し、13安打を放つも敗れた思い出は強く残っている。

そして1982(昭和57)年、花咲徳栄高校の開校に伴い、初代の監督に着任した。

第1期の入学者は男女400名、その中から野球部員を募った。10数名が集まったが、夏休み後には5名しかおらず、しかも1年間グラウンドはなかった。

第2期生が入学してやっと試合ができる状況となり、2年目の夏の県大会では、その大会でベスト4に入った富士見高校に0対2の惜敗と健闘した。

4年後には春の県大会に初出場しベスト4、5年後の夏の県大会ベスト4、6年目の春の県大会は準優勝という成績を残すが、7年目の夏の県大会で2回戦で準優勝した大宮南高校に惜敗し、この年の秋の県大会を最後に監督を稲垣人司氏と交代をした。

その後、2000(平成12)年の秋、練習中に稲垣さんが倒れ、急逝。翌年から稲垣さんの教え子である岩井隆氏が監督となったのである。

岩井監督となり甲子園春・夏9回の出場を成し遂げた花咲徳栄は、今年、第99回全国高校野球選手権大会で決勝戦広陵(広島)を16 安打14得点をし、全6試合2ケタ安打の圧倒的な攻撃力で悲願の日本一。参加3839校の頂点に立った。また埼玉県勢初の夏の制覇を成し遂げ、埼玉県・加須市に深紅の大優勝旗が来たのである。

私は全国女子硬式野球ユース大会の実行委員長であったため準決勝も見られず、決勝の日は大会の後片付けや挨拶回りを済ませ、やっとの思いで自宅に帰り決勝戦を観戦した。

テレビ画面には私が授業で教えている清水投手、須永捕手、西川左翼手、高井3塁手が大活躍をしているではないか。普段の授業では一生懸命取り組んでいる生徒たちだけに、余計に力が入って応援していた。

「頑張れ。よーしいいぞ」

と一人画面の前で騒いでいた。

ついに優勝の瞬間に遭遇することができた。

広陵の最後の打者がライトフライを放ち、ウイニングボールがグラブに入った瞬間。

(やったあ! おめでとう、日本一!

と、こころの底から祝福していた。

(これで花咲徳栄は男女共、名実共に日本一になった。男子では初代の監督をさせていただき、女子では監督として日本一を経験させていただき、本当に光栄だ。花咲徳栄ありがとう!改めて全国制覇おめでとう!)

テレビの前で一人、泣き虫ハマーになっていた。

翌日、チームが帰校し、優勝報告があった。

そして、岩井監督と握手をし、二人でツーショットの記念写真を撮り、深紅の大優勝旗を持たせていただいた。

今年で教員生活40年、女子硬式野球にも男子硬式野球にも、ひたむきに情熱を注いできたつもりだ。

ふと自分の足の裏をじっと眺めてみる。

(お母ちゃん、僕も少しは人の役に立てたかなあ……。)

私の大好きな坂村真民(しんみん)氏の『尊いのは足の裏である』をご紹介する。

1

尊いのは

頭でなく

手でなく

足の裏である

一生人に知られず

一生きたない処と接し

黙々として

その努めを果たしてゆく

足の裏が教えるもの

しんみんよ

足の裏的な仕事をし

足の裏的な人間になれ

2

頭から

光が出る

まだまだだめ

額から

光が出る

まだまだいかん

足の裏から

光が出る

そのような方こそ

本当に偉い人である

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク2 旅の果てに』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。