「分かったような分からんような話だが、とにかく杉井の場合は立派な軍人になれるよ。お前のように誰からも好かれる奴は、環境が変わっても周囲とはうまくやれるだろうし、軍のような大きな組織では特に実力を発揮できるだろう。ところで、今日は何を祈った?」

「俺の願はいつも同じだ。家族と自分の一年の無事を祈るだけで、特にそれ以上具体的なお願いはしない」

「そうか。俺がこうしてここに来たのは、軍でまともにやっていけることを祈るためだ。俺だって良い意味での緊張感を持っている。心配するな。俺も杉井以上に立派にやるかも知れんぞ」

杉井は救われた気がした。片桐は優秀な男だった。学校にいる間も若いわりに多少ニヒルなところもあったが、それはいろいろなことを良く理解していることの裏返しだと杉井は思っていた。

この半年、杉井が感じてきたモヤモヤを、片桐は間違いなくより強く感じてきたであろう。その片桐も今やこれほどに気持ちの整理をつけている。あらためて片桐から学ぶ思いがした。

「片桐はいつだって俺なんか足元にも及ばないほど立派さ。今日は静岡を出る前に会えて良かった。お互いに頑張ろうな」

「ああ。杉井も体には気をつけろよ」
片桐は杉井の肩を軽くたたいて、境内の人混みに紛れて行った。

四日から杉井謙造商店は、またいつもどおりの営みを始めた。入営が一週間に迫った杉井は、もう特に仕事を任される訳でもなく、手持ち無沙汰だった。入営に必要な衣類などは、たえがすべて準備してくれていた。若い頃台湾の連隊に入営した経験のある謙造が、

「何の準備も要らん。体一つで行けば良いのだ。ただ軍人勅諭五ヶ条だけはしっかり暗記しておけ」

と言うので、杉井は忠実に従った。

一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
二、軍人は礼儀を正しくすべし
三、軍人は武勇を尚ぶべし
四、軍人は信義を重んずべし
五、軍人は質素を旨とすべし

軍人勅諭は、明治十五年に哲学者西周により起案され、当時日本陸軍の憲法とされていた。