「それは別の問題としてですね」磯部が仲裁に入るように口をはさんだ。「ともかく、ぼくが整理した資料の説明をさせてもらいます。ここに積み上げた資料が」といって足元にある本の山を指さし、「これまでの最終的な成果をまとめたものです。ただこれらのものは、すでに論文として発表されているもので、現時点での最終成果ではありません」

「最終的な研究結果はどれですか」沙也香が聞いた。

「それはまだまとめられていないようです。ちゃんとした記録としては、ですね」

「一番新しい記録はどれですか」

「一番新しいものは、たぶん、ここにあるノートでしょう。まだぼくもすべての資料を読んだわけではありませんが─」

そういわれて指さされたほうを見ると、古びた大学ノートが積み重ねられていた。

「これですか」といいながら、沙也香は一番上に積んであったノートを開いてみた。

そのノートには日記のように日付が書いてあって、「どこそこに行ってなにを調べ、なにを見てきた」ということが書いてあるかと思えば、日付もなにも書かず、いきなり「なんという本にはこう書いてあるが、別の本によれば、まったく違うことを主張している。この矛盾はどう考えればいいのだろうか」といった記述もあった。

どうやらこのノート類は、教授が行ってきたことや思いついたことを書き連ねた覚え書きらしい。そのノートを数えてみると十数冊あった。一番古い日付は三十年近くも前のものだ。教授は若いころからずっとこのノートを書き続けてきたらしい。

それらを一目見ただけで、磯部が研究者として見習うべき人といい、山科があんたが一生かかっても追いつけない、といった言葉が理解できた。だがここであきらめるわけにはゆかない。

沙也香には、自分のマンションを訪ねてくる途中に高槻教授を死なせてしまった、という負い目のようなものがある。それは彼女には責任のない不可抗力の事故だったとしても、故人となってしまった人の夫人から、同じ依頼をされたという現実もある。その依頼を引き受けた以上は、なにもせずに約束を反故(ほご)にすることなどできない。

沙也香は次々とノートを手に取り、ページをめくっていった。やがてその手が止まり、ノートに書かれた文章に目が釘付けになった。

そこには「聖徳太子の謎」と書かれた題字があり、謎の内容がわかりやすく箇条書きにして分類されていた。その文章を目で追っているうち、その中の一行に注意をひかれて、沙也香は無意識に声に出して読んだ。

「第一次遣隋使の謎。六〇〇年の第一次遣隋使のことは、『日本書紀』にはまったく記載されていない。それはなぜか。……え?これ、どういう意味かしら」