「それも既に調べてございます」

てきぱきと答える女史は、この世界できわめて優秀な学芸員であることを証明していた。予想を上回る献身的な姿勢は、現在のロンドン・アート・アカデミズムにおける心地の評価と力が、かなりのものであることを如実に物語ってもいた。

「現在、私どもの美術館がフェラーラの絵を一点持っていることは既に確認しております。しかしまことに残念でございますが、今これをお見せするわけには参りません。ナショナル・ギャラリーは膨大なコレクションを所有しておりますが、展示室にお出ししているものはほんの一部なのです。

殆どのコレクションは巨大な収蔵庫に整理され、また保管されておりますので、その実物をご覧いただく場合は所定の手続きが必要とされるのです。それに、たとえ許可がおりた場合でも、その手配のために最低二週間はお待ちいただくことになります。しかし今日はこちらにその絵の複製写真がございますので、どうぞご覧下さい。これがピエトロ・フェラーラの絵《緋色を背景にする女の肖像》です」

例の青いファイルからA5サイズの写真が取り出され、眼前のテーブルに置かれた。

「当館で所有しておりますフェラーラの絵は、先ほどお見せした一九七〇年の画集では最後の#28となっているものです。縦位置、六十号の油絵でございます」

「やはり例の美しい女性の絵ですね。それに、先ほどの五つの特徴を全て備えています」

一呼吸おいて、女史は次のような解説を加えた。

「画集で見る二十八点の絵や五つの分析などから総合的に判断しますと、ピエトロ・フェラーラは《ラファエル前派》に関係したか、または関心のあった画家ではないかと思われます」

「ラファエル前派とは何でしょうか?」

「ラファエル前派とは、ロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校の画学生、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレー、W・H・ハントなどが中心になって創立したグループの総称です。これには十九世紀中頃のヴィクトリアニズムに対する反発がその根幹にございます。イギリス絵画の停滞を嘆き、ラファエル以前の芸術に理想を求めたものですね。

ラスキンなどの後押しもあり、一八五八年から六〇年頃が頂点でしたが、活動は短命なうちに終焉を迎えました。しかし後世に与えた影響は大きかったのです。特徴の一つとして、そこには普通のモデルを超えた存在、いわゆる“運命の女=ファム・ファタル”の介在が不可欠でした。特にこのロンドンでは顕著な影響が見られますわ。経歴にございます様に、ピエトロ・フェラーラはロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校の出身なのです」

「なるほどラファエル前派ですか。そして運命の女……」

「女性のイコンです。妖艶さと神聖さをともに感じさせる美しい女性像には、霊感源を感じざるを得ませんから」

※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。