第一章 注射にしますか、お薬にしますか?

我がハゲ頭を愚考する

自虐ネタで言うのではないが、オイラは「禿げ頭」である。
五〇代の後半の頃だった。たまたま子どもたちが帰っていて、
「禿げ頭」の話をしておったところ、息子が、
「他人事のように言ってるけど、お父さんも立派な禿げだよ」
「俺はまだ大丈夫だろう」
「父さんが知らないだけ、自分で見たことないの?」

そんな訳で、洗面台の前に立ち、合わせ鏡をして、初めて気が付いた。

「………………」

なんと立派な禿げである!
てっぺんが丸く透けて、地肌が白く見える。鏡に映し前から見ると、オデコの上はかなり薄くなっているが、頭髪はふさふさだ。
しかし、合わせ鏡で後ろから見ると、頭のてんこは自分の想像より遥かに薄い。

手で触ってみると、髪の毛に触れるばかりで、地肌に触れることはないから、自分では髪の毛が「まだある」と思っていたのだが、鏡に映すとはっきりと分かる。

鏡は嘘をつかないのだ。

「なんだ、こんなに禿げていたのか」。これが当時の正直な感想だった。
人前では自分のことを「禿げ、禿げ」と言っていたが、まだ「禿げの予備軍」のあたりだと高を括っていたのである。

実は先日女性軍から、力強いお言葉を頂いた。

「あたしたち、髪の薄い人を差別的に見たことないわ、ねー」
「むしろ、堂々と薄くなった方が、男らしくていいのじゃないかしら」
「そうヨそうよ」
「男らしくて、キューンときちゃう」と宣(のたま)うたのである。

禿げは魅力的なのだ、今に禿げのモデルや俳優が紙面を飾るようになり、それがトレンディーなファッションになる日が来るゾ!諸君。

今から二〇年も前の話だが、ミスターヒューストンとボートでチヌ釣りをしていた時のこと。

彼はオイラより五歳年上で、つむじがかなり禿げている。
釣りをしながら度々帽子を脱いだり、被ったりする。
理由は「頭髪のためには蒸すのが一番悪い」とか。
太陽に雲が掛かると脱ぎ、日が差すと被るのでなかなか忙しい。

昼過ぎ、急に雲が厚くなってきた。

「朕茂チャン、雨が来ますね」。そう言いながら帽子を脱いでいる。
ほどなく、
「雨です」
「えーっ、まだでしょう」
海面を見ると、ところどころに小さな波紋が立っている。

「ボクはねー、ここんところにセンサー付けていますから、直ぐ分かるんです」
と、禿げ頭を叩いた。

〇 真っ先にキンカが騒ぐ日より雨  短竿

オイラは「禿げ頭」が好きである。

禿げ頭を見ると、永年社会の荒波にもまれ、家に帰れば女房を気遣い、子どもに馬鹿にされながらコツコツと働いてきた、お父さんの哀愁を感じるのである。

同窓会で、年甲斐もなく禿げもせず、白髪も進まず、ふっさふっさの髪をしている奴を見ると、
「ヅラを脱げ」と髪の毛を掴んで引っ張ってやる。