窪家を継ぐ身として不承々々通っているくらいだから、漢学は身につかなかった。では何を得たのか。後年、恭平は「朗廬先生から正直の二文字を教わった」と述懐している。

「先生から教わった忍耐を示すのはここだ」という言葉も残っている。つまり、学問より信条を学んだのである。六年間も通って、過正失神と正直と忍耐だけでは効率が悪過ぎるが、それくらい漢学者には不向きだった。

それでも窪家を継ぐ使命は変わらない。十二歳になった恭平は、母の伯父播磨屋仁兵衛(はりまやにへえ)を頼って木之子から大坂に出た。その伯父の紹介で、頼山陽の高弟後藤松蔭の門を叩いて学僕となる。学僕とは住込みの弟子で、授業料を払わない代わりに無給で働くのである。

しかし、金にならない弟子に松蔭は冷たかった。授業中は座敷の隅に座らされ、茶を持て、火鉢に炭を継げ、と雑用で中座させられた。金持ちの子弟だと手を取らんばかりに丁寧に教えているのを見て、儒者とは看板ばかりか、と恭平は落胆した。

ある日、播磨屋仁兵衛が恭平を訪ねてきた。学僕にあてがわれた納戸(なんど)に通すわけにもいかず、恭平は伯父を表に連れ出した。歩きながら近況を尋ねられると、師への不満が抑え切れなくなった。金持ちの子弟は優遇される。出来が悪くても叱られない。所詮、世の中は金なのか。

二人は近所の茶店の縁台に並んで座った。恭平は木之子から着てきた古びた袷(あわせ)のままである。仁兵衛が注文した団子に恭平は目を輝かせた。甘いものなど食べていないのだろう。団子をつまむ指はあかぎれだらけだ。

「恭平、木之子から使いが来とってな。元泉さんの病が一向に回復しないので困窮していると古尾子が言うてきた」

団子に夢中だった恭平の動きが止まった。父の病は聞いていたが、決して辛酸を表に出さない母が困窮を伝えてきたことに深刻さがうかがわれた。

「えらい心配です。弟や妹もおるし、暮らし向きも大変やと思います」

「そうやな。お前に言うこととは違うが、実は古尾子が金の無心をしてきよった」

恭平はじっと押し黙っている。まだ十三歳の子供なのだ。仁兵衛が慰めの言葉を掛けようとした刹那、 恭平がぐいと仁兵衛の方に向き直った。

「お願いがあります。私に丁稚(でっち)奉公の口を世話してくれまへんか」

「何を言うとんのや。お前は窪家を継ぐ人間やぞ。そやから、わしが後藤先生にお願いしたんやないか」

「それは感謝しとります。しかし実家が窮乏しとるのに、ここにおっても仕送りは出来まへん。でも、奉公すればお駄賃がもらえることもありますし、やがてはお給金も頂戴できます。学者になっても稼げるのはほんの一握りだす」

仁兵衛は恭平の顔をじっと見た。必死の瞳である。親孝行の思いと同時に、後藤門下での閉塞感を突破したいという願いが伝わってきた。仁兵衛は、かなえてやるしかないと直感した。

「分かった、分かった。でも恭平よ、しばらく木之子には内緒にしておこうな」

共犯者を得て恭平は微笑み、軽くうなずいた。生まれる前からの運命を、ついに自分の手で捻じ曲げたのである。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『負けず 小説・東洋のビール王』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。