第二章 若旦那

俺の夢はなんだ

公事宿から単なる宿屋に変わった播磨屋だが、公事がなくなったため、客足は次第に減り始めた。新妻と幼な子が心を和ませてくれる今の幸せを守りたい。恭平は、宿屋に代わる新しい商売を本格的に検討し始めた。

明治三(一八七〇)年、二十六歳の恭平に運命の出会いがあった。後に三井物産を創業する益田孝が播磨屋に泊まることになったのである。

益田は幼時から英語を学んで十四歳で幕府の通訳となり、十六歳で訪欧使節団池田筑後守一行に随行したという人物である。維新後は横浜で貿易の実務を経験した。

今回は政商岡田平蔵の依頼を受け、大阪造幣寮に金銀を納める金銀分析所の経営のために来阪したのであった。東京を離れる前に知人らに暇乞いに廻った時、恭平の兄元育から「定宿がないなら私の弟の宿屋に」と紹介があったのである。

益田は播磨屋の奥の一室を借りて分析所に通った。勤めから帰ると自室に夕食が運ばれる。それを食べ終わると宿の亭主、つまり恭平がやってきて雑談にふけるようになった。恭平のほうが四歳年長だが、経験も知識も雲泥の差である。

恭平は特に、洋行での見聞や横浜での貿易に関する話をせがんだ。端正な顔立ちで物に動じないような益田でも、やはり海外経験は何年経っても興奮が戻ってくるようで、恭平はいつもその熱弁に魅了された。

「播磨屋さん、池田様ご一行とフランスのマルセイユに着いた時は本当に驚いたよ。街の建物は堅牢な煉瓦造りで、四階建て、五階建てがずらりと並んでいる。自分がちっぽけに見える。日本の木と紙の平たい街とは大違いだ」

「それは火事にも地震にも強そうだすなあ」
「ホテルと呼ばれる宿屋では千人もの客を泊められる。千人だ」
「しぇっ、千人でおますか」

「十数人を乗せて昇り降りする機械仕掛けの箱があって、階段を上らなくても上の階に行ける」
「それは便利な」

「汽車というものがあってな。馬車の屋形の大きなのを幾つも繋げて、馬の代わりに蒸気機関の汽車が引っ張る。石炭の力で走るのだ。何百人が一度に旅をできる」
「しぇっ、何百人も。それはすごい。」