ブリキで作った船、竹とんぼなど、私の遊び道具は父手作りのおもちゃでした。工場の前には、鉄板をコインのように打ち抜いた丸い形をした鉄片が散らばっていて、それを拾って遊んでいました。

工場の近くに小さな溝があり、母は私を抱えていつもその溝をまたいで渡っていました。それが気に入らない私は、ある日、「ほうりでわたる」と言って、自分で溝をまたいで引き返し、もう一度自分で渡り直しました。

「ほうりでわたる」とは「一人で渡る」という意味の、私の幼児言葉です。後に母はよくそのころの話を聞かせてくれました。

自分でできることは自分でするという私の性格は、この時できあがったのかもしれません。「ほうりでわたる」は、後々まで私自身の性格を表す言葉となりました。

しかしその後、多くの人々に支えられ、助けられて、人は自分一人では生きていけないことを学ぶことになります。最初の助け人は母です。次のことは後に母から聞いた話です。

私が三歳のころ、母に連れられて自宅近くの小川に洗濯に行きました。その日は、前日の雨で川が増水していました。

水辺で洗濯していた母の横で遊んでいた私は、足を滑らせて川に落ちてしまいました。母はとっさに私の袖口をつかみ、自分も川に飛び込みました。

母は私を抱え上げ、自分は頭まで水に浸かりながらも私を支え上げていました。そばにいた姉が泣き叫んだため、川のそばにあった床屋さんが飛び出してきて、私を取り上げ、母の手を引き上げて助けてくれました。

母から生まれた子ですが、最初に助けられたのも母でした。でもそこで姉が泣き声を上げなかったなら、そして床屋さんが飛び出して助けてくれなかったなら、その後は母子ともにこの世に存在しなかったかもしれません。

※本記事は、2017年11月刊行の書籍『霧中の岐路でチャンスをつかめ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。