壱─嘉靖十年、漁覇翁(イーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

(5)

一番鶏が鳴いた。ふだんなら着がえて、炭をおこしはじめる時間であるが、その日にかぎっては、仕事をしようという気になれなかった。

羊七(ヤンチー)は、腕っぷしが強かった。両の腕に、豕(ぶた)一頭分の肉をかかえ、ひょいと持ちあげてみせるほどの膂力があった。かりに襲われるようなことがあっても、やすやすとやられるとは思えない。だが、姿をみせなくなったのは、事実である。

―おまえが来たから、消されたんだよ。

あの羊七(ヤンチー)が、消されるなんてことが、あるのだろうか?

麵づくりを教えてくれた徐繍(シュイシウ)はいなくなった。そして、羊七(ヤンチー)もいなくなった。

「おはよう。あれ、まだお湯わかしてないの? すぐに明るくなっちゃうわよ」

塒(ねぐら)にやって来たのは、石媽(シーマー)であった。

「ここ、置いとくわね」

荷台からおろしたのは、豕(ぶた)の骨と、腹身の肉である。

「いつもの少年は、どうしたのだ?」
「少年?」
「ああ。きのうまでは、無口な少年が、はこんで来てたんだが」

「そんなの知らないわ。あたしが聞いたのは、あんたが麵づくりの屋台を曳いてるから、必要な材料をとどけに行けってことだけよ」

「明日もか?」
「そうよ。これから毎日。湯(タン)さんからそう言われたんだけど」

断片が脳裡でつながってゆくのと同時に、足下が、ぐらぐら揺れるような感覚におそわれた。

―猿をつぶす。

どうやら私は、とんでもないところで働いているようだ。

漁門の財力のみなもと。それは、肉の卸売でもなければ、西山楼のような酒家で出す料理でもない。

羊七(ヤンチー)は、そのウラを知っていた。ゆえに、湯祥恩(タンシィアンエン)や段惇敬(トゥアンドゥンジン)から、危険人物とみなされていたのだ。

―それは、肉の帳簿じゃないぞ。符牒だ。生きた人間のな。

生きた人間、それも、おそらく子供をさらって来て、売りさばく。虎とか象というのは、かどわかした子供の性質をあらわしたものであろう。雀とは女の子のことだと解釈すれば、虎や象より高い値がつけられていたのも、うなずける。朱雀というのも神獣のことではなく、女衒(ぜげん)が舌なめずりするような美少女にちがいない。

表面はいざ知らず、漁門の実態は、悪党の集団ではないか。

彼らは、さらって来た子供たちを調教する。上命にしたがい、疑問をさし挟まないうようにと。服従しない者にあたえられるのは、「つぶす」という名の仕打ちなのだ。