第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

組手(テリョン)

フリースパーリング(チャユ・テリョン)

「道(ドー)」の概念に従えば、自分の練習のために“ベストな”流派を探し求めている時点で、心が未熟な証である。流派に優劣はなく、全てを網羅した完璧な流派もない。何か一つの武道に真摯に取り組むことができれば、どの流派であってもいずれ立派な武道家になれるはずだ。どんな人も自分にとっての“ベストな”流派を選び、それに従事することが大切である。

私たちテコンドー従事者は、相手の努力や信念に敬意を払い、他者から学びながら成長してゆく必要がある。現代のテクノロジーの台頭と共に、他の武道の技術を一見し学ぶ機会がますます増えてきている。テコンドーは初期に比べてかなり変化しているが、現代まで存続し、進化し続けていることに感謝しなくてはならない。

しかし、テコンドーの起源と哲学の事を決して忘れてはならない。もしテコンドーの伝統と人の道が失われてしまったら、そこには「跆(テ)」と「拳(コン)」しか存在しなくなる。「道(ドー)」がなければ、テコンドーは単なる暴力となってしまう。よって、この哲学を守り続けなければならないのである。

情報を簡単に利用できるのは、個人のスキルアップにとって素晴らしい贈り物である。しかしそれと同時に、真の伝統的テコンドーとは何かを見失わないよう注意する必要がある。

自分の外側に目を向ける前に、自身の内面と向き合う事を常に心がけること。そうすれば、最も手強い敵は他の誰でもない自分自身である事に気づくだろう。

試合で対戦相手に勝った時の栄光は、ほんの一瞬にしかすぎない。しかし、テコンドーを通じて生徒は、名誉ある一生涯を送ることができる。スパーリングがテコンドーの全てとなってはいけないが、練習においてどれだけスパーリングを重視するかは、道場やマスター次第である。

練習の目的が個々に異なる生徒には、テコンドーのこうした側面は関係ないであろう。しかし、テコンドーの目的の一つは、自分よりも体が大きく強い相手を打ち負かす事である。スパーリングは、二人以上で行われる現実世界の争いを様式化したものであり、テコンドーで習った教訓を実践する場である。

戦場での誤った決断は、命を落としかねない。しかし、近年の長距離武器システムの導入により、接近戦の必要性がなくなってきている。今日の戦闘では、ボタン一つを押すか、引き金を引くだけで勝負がついてしまう。

そのため、スパーリングはかなり個人的、ほぼ精神的な側面を持つようになっている。つまりスパーリングは、個人の強さや技術レベルを測る手段となっている。

また、それを通じて自分のスキルレベルや理解度を測ったり、相手のボディ・ランゲージを読み取って次の動きを予測したりできるようになる。

さらに、生徒はスパーリングの練習を通じて、自信を付けていくことができる。安全なスパーリングのため、テコンドーはスパーリングの練習や試合ルールをきちんと設けている。よって生徒は、最小限のリスクで練習や戦いを実践する事ができる。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。