第二章 伝統的テコンドーの三つの要素

組手(テリョン)

フリースパーリング(チャユ・テリョン)

フリースパーリングは、武道初心者にとって魅力的な競技の一つである。敵対者との対立は、個々の知識を実践し、あらゆる技術を試す場である。対立を通じて生徒は、素早い決断力を身につけ、迅速に対応できるよう学んでいく。実生活で誰かと対峙した時、誤った決断は重大な結果を引き起こし、怪我だけでなく死を招く恐れもある。

道場のように安全な環境であれば、そうしたリスクも最小限に留めることができるだろう。現代のスパーリングでは、生きるか死ぬかよりも、勝ち負けが重視されている。そのような勝負での敗北は、身体的外傷より心的外傷を引き起こす恐れがある。

伝統的テコンドーのスパーリングは、ノーコンタクト制で行われている。この練習を通じて生徒は、自分の動きをコントロールする方法を習得する。打ちや蹴り技は、スパーリングパートナーに当てず、寸前で止めなければならない。互いの安全を確保しながら攻撃技を模倣するのだ。

他のテコンドー流儀では、フルコンタクト・ルールやセミコンタクト・ルールをもとにスパーリングが実践されている。そうした流派の多くは、試合での実践に備えてフルコンタクト制を重視している。コンタクト・ルールのスパーリングも有用的だが、それはテコンドーの従来の考え方とは異なる。

伝統的テコンドーにおけるノーコンタクト・スパーリングの厳守に対する、他のテコンドー流派や武道からの批判が高まっている。主な批判は、伝統的テコンドーが路上やフルコンタクトの試合において高い有効性を持つのかというものだ。フルコンタクトの戦いが人気を得るにつれて、あらゆる流儀の長所と短所を議論する傾向が高まっている。

様々な武道が比較対象となり、より優れている武道はどれなのか判断されることが多くなってきた。ソーシャルメディアやインターネットの台頭と共に、少なくとも表面上、人々は様々な武道を安易に比べることができ、豊富な情報を得ることができる。

テコンドーは、本人が直接練習して初めて学ぶことができるものだ。技の修行を始めるには、先生によって十分な能力があると認められなければならない。それと同じことが他の武道にも言える。

今では、情報が一瞬にして世界を駆け巡る時代となっている。オンラインで情報にアクセスすることは、生徒を奮い立たせ、幅広い知識を身につける助けとなるだろう。しかし一方で、そうした情報に気を取られすぎてしまい、適切な指導を受けられる道場や素晴らしい先生を探す事を後回しにしてしまう。

今日のスパーリングの試合は、テコンドー初期時代と大きく異なっている。現在、ITFやWTFは世界レベルで試合を開催し、その生徒の数も急速に増加している。フルコンタクト・ルールの試合が普及し、今やテコンドーは映画の中でも見られるようになった。また、テコンドーの蹴り技は、総合格闘技のトレーニングにも用いられ、もはやテコンドーだけの技術ではなくなっている。

そんな状況下で伝統的テコンドーは、現代的流派らと競い合い、自らの流儀を保持していく事ができるのだろうか。また、他の武道と比べてどれほど実用性があり、実際の護身術として役立つのであろうか。

答えは単純である。伝統的テコンドーは、しっかりと理解し練習を積めば、とても有効な技術となる。しかし、その習得には時間を要し、根気が必要であることを覚悟しなければならない。テコンドーが求める生徒とは、自分の身を守り、リング上や路上でも相手の攻撃に一歩も引かない、そしてそのために必要な全ての術を身につけた人物である。

ただし、生徒は技を実践すべき時をきちんと見極める必要がある。それができれば、体と心を一つにして、技を正しく実践できるようになる。伝統的テコンドーで大切なのは自制心である。蹴りや突きを相手に命中させるのは容易であるが、それを寸前に止める事はそう簡単ではない。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『人の道 伝統的テコンドーの解釈』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。