永世竜王・現棋王をしてそこまで言わしめる程に棋士を圧迫しているのは、人工知能なのではなく、ファンである我々の意識の変化、つまりは将棋を、棋士を見る眼差しの変化が大きいのではないか。人工知能の発達の如何(いかん)で、将棋というものが変わることはない。

我々は、その変わらない将棋を指す棋士を必要としなくなるだろうか。全く従前通りとは行かずとも、棋士と棋士の対局にしか提供できない将棋は、もはや本当に無いのだろうか。あったとして色褪(あ)せたのだろうか。

テクノロジーの飛躍的進化の時期には、その受益主体にも内面的な成熟が求められる。将棋ソフトは誰が見ても分かる高度で精緻な局面の分析結果を提供するのだから、将棋ファンも受益主体に含まれる。

我々はもう一度、将棋というものを深く広く捉え直し、それを指す棋士も含めた「対象」を多角的に眺め直すことが求められている。我々は永きに渡り、将棋と棋士から何を見て、何を感じ、そして受け取って来たのか。我々は急がなければならない。

棋士がいなくなってから気付いても遅いからだ。人のいない街は寂しい様に、棋界にあって棋士は残り続けてほしい。棋界に棋士が残ることは、他の部分世界の、延(ひ)いては世界の中に人間の姿を見出し続ける事にもきっと繋がるだろう。

目的と手段が手品のように鮮やかにすり替えられる今日この頃だが、本稿の目的は、私が真に関心を寄せる考察の対象は、将棋であり、それを我々に最も良く伝えてくれる棋士である。

本稿は[後編]に入る。将棋について、棋士について考えよう。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。