「おおやけ」の語源は「みやけ」?

一方、本来の倉庫の意味である「みやけ」は七世紀末から八世紀初頭にかけて、正倉(凡倉・法倉)などに作り変えられてきたようですが、「凡倉」は「正倉」ともいわれた、標準的な倉です。

しかし、「法倉」というのは「正倉(凡倉)」の中でもひときわ大きなもので、律令国家の威信を示し、地方支配を支えるために造営された(大橋泰夫氏、前出)といわれ、各地の十棟を超える倉を建てた正倉院には一から三棟のひときわ大きな法倉が造営されたといわれています。

この法倉は「飢饉等に備え、稲穀を収納し、高年者・貧民・難民救済に使われた」(大橋泰夫氏)とあります。

風土記では「正倉」を「みやけ」と読んでいます。すると「法倉」は「おほやけ(大きなみやけ)」と読むことになり、我が国の「おおやけ」の語源はここにあったのかもしれません。

「官家」は「みやけ」ではない

「官家」を「ミヤケ」と読む根拠は、欽明紀六年九月の条等に「彌移居・ミイキ」という表現があることや、風土記などで郡家と思しきものを「宅・御宅・三宅」と記述していることから来ていると思いますが、欽明紀のものは「ミイキ・御息」で「天皇の子息」という意味で「内官家」の倭国語の表現でしょう。

決して「屯倉」と同じ機能を意味しているものではないと思います。「官家」は「官(つかさ)の家」ですから、これは「役所」に他なりません。これを同じ「みやけ」と読むのには抵抗を感じます。

尚、書紀の解説で、孝徳紀の大化元年の記述にある「以百済國為内官家」の「官家」を「屯倉」と同じ意味であるとしていますが、これは「(我が王室の)身内(の政治機関・國)」の意味で、けっして「屯倉」と同じ意味ではありません。

支配の象徴としての「屯倉」イコール「官家」としてこの言葉を使ったというのであればうなずける部分もありますが、残念ながらそうは書いていません。

この内官家の表現は、神功皇后摂政前紀十月の条に「故因以定内官家屯倉」とあります。これは「そこで(それら・新羅・高麗・百済を)身内の国として屯倉(所領)と致しました」という意味です。この書紀が書かれた時代には「屯倉」が「所領」とほぼ同じ概念でとらえられていたと思われます。

「みやけ(穀物倉庫)」はこのように、縄文末期の「稲作開始」以来、みやけ(高床式穀物倉庫)・屯倉(御宅)・郡家・正倉(国家制度)などと呼称表記は変遷しましたが、一貫して稲作中心の我が国の経済基盤として認識されていました。

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