第一部 銀の画鋲

「ワルツさんの秘密」

牧師さんはなかなか戻ってこなかった。そのうち、柱時計が八時を知らせた。牧師さんが寝室を出ていって十分が経っていた。まだ戻ってこない。

奥さんが身体をヒクヒクと反転させた時に、誰かが部屋をノックした。これがカトリーヌだった。倒れている奥さんを見て、カトリーヌは立ちすくんだまましばらく動けなかったが、僕の二回の瞬きと同時に寝室から急いで出ていった。

あとはカトリーヌが僕に話した通りだ。カトリーヌは錯覚していた。カトリーヌの足がすくんで動けなかったのは二・三秒の間だったんだ。

奥さんは片方の肺が破れていたとワルツさんから聞いた。牧師は、葬式のあった翌日に警察の人に奥さんが死ぬまでのいきさつを正直に話したそうだ。

僕がそう仕向けたんだ。ちょいと、頭の中に侵入してね。このままだとお前は地獄の業火に焼かれるぞって。

牧師は大陸に連れていかれ「未必の故意」の嫌疑で調べを受けることになった。死んでしまった奥さんより、牧師のほうがワルだな。苦しがっている奥さんを抱き起こすこともしないで、じっと見下ろしていたんだから。それに、あの時の牧師の目がぞっとするくらい冷たかった。目には目をだ、そうだろ、神様。

あの鳥の歌を僕は知らない

どんな声で歌うのか僕は知らない

空は突き抜けるほど高いから、鳥はきっと歌うのだろう

ねえ、カトリーヌ、美しい短調の旋律も

あの鳥の哀しみにはかなわないよ

あの鳥の歌にはかなわない

カトリーヌが本屋に住み着くようになって初めてのクリスマスが近づいたある日、ワルツさんがカトリーヌに読んでほしいと頼んだものがあった。三通の手紙を、声に出して読んでほしいとワルツさんはカトリーヌに言った。

「どうして封を切っていないの、ワルツさん」

カトリーヌは首を傾げた。

「わしは字が読めないんだ」

鼻の下を人差し指でなぞりながらワルツさんは言った。

親愛なる兄さんへ

この手紙を書くべきかどうか、私はとても悩みました。

でも兄さんの消息がわかって、私、とてもうれしかったんですもの。

ですから、思い切って兄さんに私が元気でいることをお知らせすることにしました。

兄さんは喜んでくださるかしら。

兄さんと別れて、六十年近い歳月が過ぎました。

私を育ててくれた養父母はとても優しくて、私を大切にしてくれました。

なので、私は幸せな娘時代を過ごしました。すべて兄さんのおかげです。