人生の切り売り

二 再開

要するに、執筆どころではなかったのだ。

「書けないなら僕が書かせてあげようか?」

「言ったでしょう。産みの苦しみは私のものだって」

もともと私はコンスタントに書き続けられる作家ではない。スイッチが入るまでいつものたうち回っているし、この度は書籍化が決まったことで満足感や達成感に浸ってしまっていた部分もある。

「そうやって悠長なこと言ってるから、いつまでも売れない小説家なのかもしれないけど」

「大丈夫。君の人生は絶対に売れるよ」

その言葉に少々実績が伴ったところで、彼がただの神出鬼没な男前である可能性は捨てきれない。

「ただ、君が書いてくれないと僕にはどうしようもないんだけど」

「それは……ごめんなさい」

不意に彼が、こちらへ向かって手を伸ばした。冷たい指先が顎を捕まえ、滑らかに動いて唇に触れる。

「全部任せてくれれば楽になれるのに」

「だからそれは――」

悪魔の誘惑を遮ったのはインターホンの音だった。無駄に高い身長、浅黒い肌、その割に威圧感のない柔和な表情に見惚れてから彼の名前を思い出す。

「掛橋(かけはし)くん!」

「久しぶり、あすみちゃん」

「どうしたの急に?」

「小説読んだよ。だから……」

掛橋護(まもる)はそこで言葉を切った。明らかに「立ち話もなんだから」と部屋に上げてもらうことを期待している。

「ちょっと待ってね」

慌てて引き返すと、悪魔が我が物顔でソファに寝そべっていた。奥のベッドが乱れていることも手前のキッチンが片付けの途中であったことも、それに比べたらどうでもいい。

「悪いけど、ちょっと出てってくれない?」

「何で?」

「えっと……」

「君が売った元彼が会いにきたから?」