なりわい

なんと、保健師としての私の初仕事は新興宗教の信者の集まりに対しての健康教育だった。保健師は、「お祈りの前座の余興」のために呼ばれたようなものだった。先輩と私は、這う這うの体でその場から逃げ帰った。

彼女たちにとっては、「生活習慣改善の必要性」などの認識は自分たちの生活に何の意味も持たない茶番みたいなもので、「信仰」こそが健康に生きるための手段であり、方法なのだ。

「人の生活習慣を改善することは簡単なこと」と豪語していた私の保健師初仕事は、見事に惨敗に終わった。この経験は、その後の保健師人生において、二度と同じ轍を踏まないための自分自身への戒めとして忘れられない苦い経験となった。

しかしながら、この経験からはまさに「保健師活動の根幹」が見えた気がする。保健師活動の根幹、それはすなわち「保健指導」である。

保健師は「保健指導を業(なりわい)とする」と法で定められた専門職である。保健指導というと、何だか上から目線で「○○しなさい」と教えたり諭したりするとか、そのようなイメージを受けるかもしれないが、それは誤解だ。保健師たち自身でさえも誤解をしているかもしれない。

保健師の教育課程ではちゃんと「保健指導とは、上から目線でもなく、ただ教えたり諭したりすることではない」と教えてもらっているが、「指導」という言葉のイメージが誤解を生むのではないかと思う。

保健指導とは、医学、看護学、心理学、教育学などに裏打ちされたエビデンスを基に、専門的な看護技術(ケア技術、相談技術、教育技術など)を駆使して、その人なりの幸せ(健康)な生活が送れるよう「支援する」ことなのだ。

つまり「禁煙しなさい。運動しなさい。塩分を控えなさい。食べ過ぎてはいけません」と伝えたり、そのためにわかりやすいパンフレットを渡したり必要な情報を「提供」することだけが保健指導ではないのだ。