自然治癒力増強剤

レッスンに参加する前は「今日は休もうかな」と思うほど関節の痛みや悪寒がひどくても、一念発起して参加すればレッスン後には症状が軽快する。その夜は私を苦しめるジンジン感は存在するにはするが、その勢いはすっかり鳴りを潜めるのだ。そして時間は短いが、眠りにつくことができるのだ。

「操体法」との出会いによって、私は副交感神経を蘇らせるリハビリ計画に勝機を見いだすことができた。

再起への兆し

加えて、バランス操体のレッスンは通常は週4日あり、一日に1、2回の計7回もレッスンが設定されていて、いつ参加しても良いし予約は不要だ。予約をしなくても良いし必ず参加しなくても良い。そんな自由度の高さが私の副交感神経の復活には非常に効果的であり、「私がいなくても世の中はちゃんと普通に回るから大丈夫」と言われているようで安心する。

退職前、秒刻み、というのは言い過ぎかもしれないが、分刻みのスケジュールの積み重ね、それが私の毎日の生活だった。しかも予定外のスケジュールもどんどん入ってくる。

職務中の私のスケジュールは組織の共有データの中で公的に管理される。自分のスケジュールであっても、自分の管理下にはない。そして決して穴を開けることは許されない。たとえ病で倒れようとも、這ってでもそのスケジュールをこなす、それが私の務めだと信じていた。

「私がやらなければ!」「私がいなければ!」自分勝手にそう盲信していた。

一方、分刻みのスケジュールに追い詰められる生活は、その一日が終わった時、とにかくやり切ることができたという達成感と充実感に満ちあふれる。「やり遂げることができた自分」が誇らしく思える。自分にとってのステイタスとなる。そんな毎日に私は満足していた。

交感神経をフル稼働させ、分刻みのスケジュールも完璧に思いどおりに完遂するために全身全霊で突き進む、私はまさに「交感神経亢進の権化」として生き続けてきたのだ。

私が職を辞して以降、組織は普通に動いているし、誰一人、私がいないために困っている人もいない。それが退職して初めて理解できた。

こうして、自分自身が自滅して初めて見えることがある。結局は、私は社会に取り残されたくなかったのだと思う。私は、ただただ、社会の中で自己実現がしたかったのだ。

34年間、ただひたすらに働き続けてきた。子どもも生後6か月から保育園に預けて働いた。当時はまだ育児休暇もほとんど充実していない頃で、保育園が預かってくれる最低年齢が6か月だった。だから6か月になると同時に職場復帰した。とにかく、仕事で取り残されたくなかったのだ。