第1章 私の修行時代

小幡谷研究室で金属塑性変形を研究

福井に来てから翌日私は福井大学小幡谷先生の研究室に入って、金属塑性変形のメカニズムを研究しました。先生のご指導の下で研究のテーマについて議論して論文を書きました。

私は高校や大学では英語を習ったことはなかったので、就職後ラジオを聞いて英語を初めて習いました。英文を書くのは大変苦手で、英語の論文の単語と文法はミスが多くて小幡谷先生によく書き直して修正してもらいました。

小幡谷洋一先生の研究室にて
 

もらったクルマに鳥の巣

同じ研究室の4年生で水泳が大変うまい児玉基希君は、暇があるときは学校のプールで水泳を私に教えてくれました。昔は全く泳げなかった私ですが、何回も練習したら、人生で初めて25メートル泳げるようになりました。

また、福井県大野市の六呂師でスキーを習って、人生で初めてスキーができるようになりました。そして、フリーマーケットで知り合った両角理恵さんは中国語を勉強していましたので、両角さん一家と交流をしました。

その両角さんは、1994年3月末、東京へ転勤することになったので、無償で乗用車をくれました。私はその年の3月に車の免許を取ったばかりで、人生で初めて車を運転しました。夏休み中、子どもを連れて岐阜の高山へ行ったのですが、途中で坂道を上れなくなりました。近所のガソリンスタンドで調べても原因はわかりませんでした。

何とかして福井に戻って車屋さんに持っていきよく調べてもらうと、排気管の中には鳥の巣があって排気できなくなったのでした。両角さんはいつも社用車に乗っており、自分の車にあまり乗らなかったから起きたことでした。

ついに博士号を取得

1994年4月には福井大学大学院工学研究科の博士課程ができ、私は入学して、小幡谷先生の指導の下で同じテーマを続けて研究しました。日本機械学会では論文を発表し、1997年3月、博士号を取得して無事に卒業しました。

小幡谷先生も私一人の博士課程を指導しただけで定年されました。来日の際にお世話になったこと、丁寧にご指導いただいたこと、本当に感謝しております。