第2章 ネクセルジャパンの誕生

大きな商売で大失敗!

なかなか売れない

しかし、200台の部品を中国に輸出し、中国側は製品を量産し、販売しましたが、なかなか売れないということでした。その部品代の一部をもらいましたが、残金500万円がなかなか入金されなくて、大変困ってしまいました。

私は中国に行って何回も交渉しましたが、製品は高くて売れないから部品の値段をもっと下げてほしいと言われました。具体的な理由としては、当時中国の一般のビジネスマンの収入は約1500元で、この製品の売値は4000元で高すぎるからです。

商売を始めたばかりで、しかも日本側にも値下げの余地はないので、私は中国人の弁護士に10万円払って中国側と交渉しましたが全然払ってくれませんでした。

コツコツと貯金した2000万円を失った

そこで、私は自分の貯金を出してまた借金し、故郷の西安で会社を設立し金型を作って社員を雇って製品を組み立て販売しようとしました。

当時西安市高新技術開発区のリーダーは大変支持してくれて、またバックアップして役所のショールームに置いたり、投資家を紹介したり、またお土産として数台買ってくれましたが、やはり市場はないから全然売れませんでした。

結局私がコツコツと貯金した2000万円ほどを失っただけではなく、アコス社もすでに買ったいろいろな部品は不良在庫となり、3000万円ほどの損が出ました。

このHMD製品を売るためにお金も時間も非常に使いましたが、初めての商売としては大失敗で終わりました(創業者の話によくあるパターンですね)。そのとき、アコスはその損を全部引き受けてくれました。

食品卸業であるアコスの一部役員と幹部は、アコスと全然違う商売をする私に対し、強い意見と文句を持っていました。

私はこの2年間自信満々の気持ちで一生懸命に頑張ったのですが成果はなく、大きな失敗でした。大変辛くすごく悩みました。自分には商売はできないのかもしれないと思いました。

ただし、二見専務と藤田社長は私を一回も責めず、逆に励ましてくれました。その優しさを私は一生感謝しております。