第二章 カナダ赴任   

支店長が気をきかせて、着るものがないのだろうと奥さんの美弥子を誘って買い物に連れて行ってくれた。サンダルでは寒いので靴を選んでレジに並ぶと、十四歳以下かと店の人に聞かれた。

意味がわからずぽかんとしていると、美弥子がクスクス笑っている。カナダでは十四歳までの子供の衣料品には税金がかからないのだ。もう三十歳なのに、きっと母娘に間違われたのだろう。

「そうだと言っておけばタックス(税金)がかからなかったのに」と美弥子があとで教えてくれた。

こうしてカナダでの生活が始まった。紗季たちが住むリッチモンド市は碁盤の目のように大きな通りが東西南北に走っている。

西海岸側から南北に、ナンバー1、ナンバー2、ナンバー3……と縦に大きな通りがある。東西へは北から順に、ウェストミンスターハイウェイ、グランヴィルアヴェニュー、ブランデルロード、フランシスロード、ウィリアムロード、スティーブストンハイウェイと大きな通りがある。

地図を頭に叩き込み、住所さえわかれば道に迷うことはあまりない。紗季たちの住まいは、ナンバー1とナンバー2の間にあるレイルウェイアヴェニューに面していた。フランシスロードで曲がると左手にある七階建てのアパートだった。

東側に面していたので、ロッキー山脈が遠くに見えた。昔はこのレイルウェイアヴェニューに沿って線路があり、フレーザー川の近くまで電車が走っていたのだ。車社会になり利用者が減り廃(すた)れてしまったのだろう。

今はリッチモンド市の中心街からバンクーバーのウォーターフロント駅までは三分間隔で電車が走っており、四十分ほどで着くことができる(現在では二十五分で着く)。

スティーブストンハイウェイより南側のフレーザー川に面した地区は、昔から湿地帯であった。日系人が初めてカナダに来て住み始めたのはこの辺りだった。職住接近、船着き場や鮭の加工場の近くに住居があったのだ。そして次第に店やホテルなどを建てて、日系人街が広がっていった。