第一章  不運

古びた木造の寮には、もう寮母だった四葉(よつば)さんしか残っていなかった。四葉さんも他の職員たちも八月末で解雇され、寮は売却されるということだった。

玄関前に並んでいた鉢植えは片づけられ、寮の中も、これまであった掲示板やカレンダー、姿見、鳩時計などのこまごまとしたものがすっかりなくなり、がらんとして静まり返っていた。

突然、みんなが暮らしていた、あのにぎやかだった頃のたくさんの思い出が幻のように甦ってきて、わたしは全身がこわばり、息をするのも苦しくなった。いまここに四葉さんがいなくてわたしひとりだったら、気が変になっていたかもしれない。

わたしは部屋に残されていた荷物を手早くまとめ、玄関で四葉さんに、心をこめて、これまでのお礼を言った。

四葉さんは、自分の元気をわたしに分け与えるように、両手でわたしの両手をがっちり包み、

「しっかり頑張るんだよ。ちゃんと顔を上げて、胸を張って。なにがあっても、いじけるんじゃないよ」

と言ってくれた。少し叱るような口調だったが、そこには口先だけではない、心からの励ましや、本物の思いやりが込められていた。

わたしは事故以来、不安だか恐怖だか緊張だか、わけのわからない、いやな感覚に苦しめられていたのだが、四葉さんの言葉を聞いた瞬間、それらの感覚が、すーっと遠ざかった。

完全に消えたわけではなかったが、わたしの中に、「もう大丈夫。これからもちゃんと生きていける」という自信が戻ってきた。

 

今年は冷夏だった。でも、涼しくてよかった、などとは言っていられなかった。米が凶作になるからだ。

わたしは社会のしくみはよく知らないが、半年前、よりにもよってわたしが豊殿に出てきた頃から、どんどん景気が悪くなっていた。街でも、すぐに失業者とわかる男たちを、よく見かけるようになった。

城屋の会社でも、焼失した工場は再建されず、他の工場では、人員整理が行われるという噂だった。

わたしは霧坂のおばさんに紹介してもらった、住み込みの女中の仕事をはじめた。給料は少し減ったが、その分仕事は楽になり、星炉さんもいい人で、このままずっと続けたいと思っていた。村に帰っても、これだけの現金収入を得られる仕事はない。

それに、戦争の噂もあった。